スペイン、ポルトガルとの交易の様子を描いた南蛮屏風は16世紀末期から17世紀半ばを中心に制作され、90件以上が確認されている。なかでも、当館が所蔵する狩野内膳(1570~1616)の作品は、緻密な描写と鮮やかな色彩から南蛮屏風の代表的作品として広く知られている。
左隻には帆を広げ、異国の港を出港する南蛮船と見送りの人々が描かれている。色鮮やかな建物は中国風をベースとしながらも、随所に瑞雲や龍、宝珠が配されたり、ドーム状の建物もあるなど、まだ見ぬ南蛮の地を想像して描いたのだろう。第5・6扇の霊鷲山のごとき岩、ドーム状の建物に描かれた磨羯魚(まかつぎょ)のような魚も異国の表象。内膳は先行するさまざまな異国のイメージを組み合わせて、はるかなる港を描いたと考えられる。
右隻には異国からの航海を経て日本の港へ到着した南蛮船、貿易品の荷揚げ、上陸したカピタン一行、彼らを出迎えるイエズス会宣教師やフランシスコ会修道士、日本人信者たちが描かれている。唐物屋には虎や豹の毛皮、絹織物、陶磁器などの貿易品が扱われている。唐物屋の奥には南蛮寺があり、内部では救世主像の掲げられた祭壇の前で儀式が執り行われている。仲介貿易が主体で、貿易と布教が一体となっていた南蛮貿易の実状をよく表している。象、アラビア馬、グレイハウンド種の洋犬など、南蛮渡来の珍獣が多く描かれているのも特徴である。執拗なまでに緻密な描写、活き活きとした人物表現、鮮やかな色彩など、どれをとっても抜群の出来映えである。
内膳は摂津伊丹城主・荒木村重の家臣の子。主家が織田信長に滅ぼされたため、狩野松栄に仕えて画家となり、狩野姓を許された。のち、豊臣家のお抱え絵師として活躍し、「豊国祭礼図屏風」(重要文化財、京都・豊国神社蔵)も手がけた。内膳の落款を伴う南蛮屏風は5件確認されており、神戸市博本には各隻内側に「狩野内膳筆」の款記、白文方郭壺印「内膳」を捺す。
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