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Autographic Letter by Sen-no-Rikyu

Sen no Rikyū1538

Fukuoka City Museum

Fukuoka City Museum

戦国時代から江戸時代初期に活躍した嶋井宗室(しまいそうしつ)は、豪商茶人として知られ、
豊臣秀吉(とよとみひでよし)・大友宗麟(おおともそうりん)・千利休(せんのりきゅう)等の
天下人(てんかびと)・大名・茶人等と交流を持った。宗室に関する資料は、子孫の嶋井家に
受け継がれ、今日に至っている。嶋井家資料は、歴史資料と絵画・書跡の美術資料に大別され、
戦国期から近代に至る町人資料で、借用証文や糸割符(いとわっぷ)関係資料等の経営資料や
町人遺訓として最古の宗室遺言状が含まれる。総点数は1011点を数える。平成4(1992)年に
福岡市の有形文化財に指定されている。
ここに掲げる2通の手紙は、ともに千利休が嶋井宗室に宛てたものである。上掲の文書は、
政治史、茶道史、二つの面できわめて興味深い内容である。羽柴(はしば)(豊臣)秀吉が、
明智光秀を下した山崎の戦後、一時滞在していた山崎城から大坂城に移ったこと、宗室所持の
楢柴(ならしば)の肩衝(かたつき)のこと、初花(はつはな)の肩衝が徳川家康から秀吉に贈られた
ことなどを報じている。この時期に家康が初花を贈ったのは、賎ケ岳(しずがだけ)の戦で秀吉が
柴田勝家を滅ぼしたことへの戦勝祝に他ならない。また、宗室が畿内を離れ、秀吉・利休ともに
ゆかしく思っている心情が文面に溢れている。宗室と秀吉の交流は、すでに秀吉が天下人になる
以前からはじまっていた。この利休書状には、天下の三名物といわれた摘柴・初花・新田の茶入
のうち、二つが話題に上っている。【ID Number2003B00019】参考文献:『福岡市博物館名品図録』

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