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長引く戦乱は多くの人々の生活を苦しめた。この文書は、香椎宮領の百姓中が年貢を払えない窮状を訴えたものである。戦乱によって、耕作できなくなり、香椎宮に納めるはずの供膳米(きょうぜんまい)も、催促されても払えない、多くの百姓が土地を棄てて他所に逃亡し、香椎宮の年貢を負担する百姓はわずかに二人しか残っていない。とはいえ、香椎宮の祭神の手前、全く納入しないわけにもいかないので、今回は銀子八文目を納める、村落の平和が戻った暁には、元の通り年貢を納めるので、今回はこれで勘弁して欲しい、といったことが述べられている。ただし、本文書の年次が元亀2(1571)年であれば、筑前における戦乱が終わって二年を経過しているので、或いは、戦乱にかこつけて年貢納入を拒否する行動とも見ることができる。ともあれ、戦乱に翻弄されながらも、力強く生きる人々の姿を窺わせる内容である。
釈文:
返々、爰許郷内躰、
御使見られ候様、
悉はうし申入仕候間、
為御心得申候、
御書状趣、具拝見
申候、仍、きやうせん米儀、
蒙仰候、当年之儀ハ
数年御弓矢砌候間、
悉ク不作仕、就其 、
御土貢めいわく仕候て、
多分百性中他出仕
候、社家分両人罷
居候、御神慮之儀
候間、銀子八文め、彼御
使渡申候、於後年、郷
中調候ハヽ、御社米之儀候
間、ふさたあるましく候、
恐々謹言、
十二月十七日 百性中
(後欠)
【ID Number1985P06215】参考文献:『福岡市博物館名品図録』

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