博多の町でかつて玉せせりが行われていたことはあまり知られていない。
玉せせりは新年の恵比須(えびす)神迎えが特殊な形で発展を遂げたものと考えられ、福岡地域で特徴的な行事である。現在7カ所で行われる玉せせり行事のうち、筥崎宮(はこざきぐう)の玉取祭(たまとりまつり)は直径30センチほどの木玉を二手にわかれた裸の男たちが激しく奪い合うもので、最後に木玉を神職に渡した側に豊穣・豊漁が約束されるという。江戸時代中期の地誌『筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)』にはすでにその様子が記述され、福岡を代表する祭りのひとつとしてよく知られている。
いっぽう博多の各町で行われる玉せせりは箱蓋裏の墨書に見えるとおり、子どもの行事であった。明治時代まで、博多の子どもたちは玉を持って町内の各戸を回り、それを迎えた家では玉に神酒(みき)を注ぎ、また玉を荒神棚(こうじんだな)にそなえたという。現在も行われている福岡市東区弘(ひろ)の玉やれ、西区今宿(いまじゅく)の玉せせりと全く同じ行
事構成である。
この玉は、大人たちによる争奪行事としての玉せせりのほかに子どもたちによる巡回行事としての玉せせりがあること、そしてこの二つの系統が少なくとも江戸時代中期以降並行して行われていたことを教えてくれる。
【ID Number1997P02378】参考文献:『福岡市博物館名品図録』