芝山象嵌

作成: 立命館大学アート・リサーチセンター

立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学

貝を始め、珊瑚、べっ甲、象牙を散りばめた、華やかな明治輸出工芸

芝山象嵌 「Made in Japan:日本の匠」(2016) - 作者: 宮崎輝生立命館大学アート・リサーチセンター

芝山象嵌 《材料》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

芝山象嵌のはじまり

芝山象嵌の芝山とは、現在の千葉県にある地名で、安永(1772〜1781)の頃この町で生まれ育った江戸の小間物商・大野木専蔵が象嵌技法を創案、評判を呼んだことから、作品に郷里の銘を入れ、やがて姓も芝山と改めました。貝類(蝶貝、夜光貝、あわびなど)を中心に、象牙、べっ甲、珊瑚などを削り、漆面に嵌め込んで作られるモチーフは、花鳥を題材に華やかな仕上がり。一般の象嵌漆器と違うところは、文様がレリーフ状に浮き出ているところで、この部分の細工のみを芝山と呼ぶこともあります。

芝山象嵌 《芝山象嵌花瓶》 清水三年坂美術館蔵(明治時代) - 作者: 写真: 渞忠之出典: 清水三年坂美術館

ジャポニスムの華

芝山象嵌は、11代将軍徳川家斉の時代の繊細な美意識にはまり、将軍家や大名家、富裕な商人の調度として人気を博します。こうした工芸品は〝大名物〟とも呼ばれましたが、開国を経て明治維新を迎え、多くの欧米人が来日すると、彼らの土産物として喜ばれるようになります。また、慶応2年(1867)のパリ万博に日本が正式参加、大々的に日本の文化や工芸品が紹介されるとヨーロッパはジャポニズムブームに沸き立ちます。中でも芝山象嵌は〝東洋のモザイク〟と呼ばれ、人々を魅了しました。

芝山象嵌 《1925年パリ万国博覧会出品作家工芸部の集合写真》(大正14年)立命館大学アート・リサーチセンター

芝山象嵌と博覧会

明治時代、輸出工芸として芝山象嵌の需要が高まるとともに、他の業種から転向して芝山象嵌の職人になる人も増えます。創案者の芝山専蔵の姓は子孫が技術とともに代々受け継いでいましたが、優れた弟子にも芝山を名乗ることが許され、芝山宗一、宗明など名人の作品が、万博や博覧会で注目を集めます。彼らの活躍により、芝山象嵌は〝シバヤマ〟として認知され、海外で広く知られるようになります。

芝山象嵌 《横浜港》(2013) - 作者: 写真: 渞忠之立命館大学アート・リサーチセンター

横浜 明治輸出工芸の出荷港

アメリカより開国を迫られた徳川幕府は、安政6年(1859)に横浜港を開港します。以来、横浜は西洋文化の窓口として、また日本の物産を輸出する出荷港として栄えます。富国強兵を掲げた明治政府は、外貨獲得のために輸出できるものとして、絹、お茶に加えて、工芸品に白羽の矢を立てたのは、世界に誇れる技術と美意識があるからこそでした。

芝山象嵌 《江戸で作られた芝山の部品》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

横浜 芝山象嵌の生産地へ

最初、芝山象嵌は江戸(のちに東京)で作られていました。芝山象嵌は分業による工芸品で、材料を作る木地師、細工に彫刻する芝山師、彫り上がったパーツを嵌め込む彫込師などに分かれていて、明治期には嘱品家と呼ばれるプロデューサー的な人物が仕事の差配やデザインを請け負うようになります。輸出需要が高まると、嘱品家たちは輸出問屋を横浜港に置き、職人たちも横浜に集まり始めます。そして、海外向きのデザインやアイテムを模索しながら、横浜独特の芝山象嵌である〝横浜芝山漆器〟が発展していきます。

芝山象嵌 《花鳥図屏風》(Photo by Teruuchi Kiyoshi)立命館大学アート・リサーチセンター

横浜芝山漆器 1

江戸の芝山象嵌は、繊細な小物が中心だったが、〝横浜芝山漆器〟は、家具類が多く制作され、象嵌も大振りになります。尾長鶏のモチーフには獣骨が使われています。

芝山象嵌 《人物図チョコレート箱》(Photo by Teruuchi Kiyoshi)立命館大学アート・リサーチセンター

横浜芝山漆器 2

土産物として制作されたもので、わかりやすい日本の人物を象嵌しています。分業で製造されていた当時は、顔だけを彫る職人もいたといいます。

芝山象嵌 《寄貝技法サンプル》(宮崎輝生、写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

横浜芝山漆器3 特殊技法

製造拠点が横浜に移り、芝山象嵌が作られるようになると、横浜独特の技術も登場します。寄貝と浮き上げの技法で、寄貝はあらかじめ鷹や鶏を型どった土台にさまざまに彫った貝のパーツを寄せ集めてボリューム感を際立たせたもの。浮き上げは、象牙の曲がった形を利用して花弁などを立体的に立ち上げる技法。いずれも大振りな装飾表現で、家具や衝立てにふさわしい芝山象嵌として発展します。

芝山象嵌 《貝の切り出し》(宮崎輝生、写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

芝山師 宮崎輝生

横浜に拠点を移した芝山象嵌の職人たちは、分業による量産体制で輸出用の品々を製作。戦前の最盛期には約500人の芝山関連の職人が従事していました。しかし、関東大震災や太平洋戦争による空襲で大被害を受け、壊滅状態に。戦後、再び再開をしましたが、〝横浜芝山漆器〟の彫込師の家に生まれた宮崎は、子どものころから手伝っていたその仕事が安易な土産物になってしまっていることに危機感を覚え、明治時代の繊細な芝山象嵌に立ち返ろうと、一貫して制作する技術を身につけます。その作品は内外のコレクターから高い支持を受けています。

芝山象嵌 《箱根付「紫陽花」》(宮崎輝生、写真: 渞忠之)出典: 京都清宗根付館

宮崎輝生の作品 1

貝などの素材の彫刻表現と、パーツを彫り込んだ際の美しさが見所。宮崎輝生は自らスケッチして、図案を構成しています。

芝山象嵌 《箱根付「花籠」》(宮崎輝生、写真: 渞忠之)出典: 京都清宗根付館

宮崎輝生の作品 2

これも小さな箱根付ですが、様々な素材の色で秋草を繊細に表現しています。花を生けた鶉籠は象牙を染めたもの。

芝山象嵌 《硯箱「静の舞」》(宮崎輝生、写真: 渞忠之)出典: 京都清宗根付館

宮崎輝生の作品 3

静御前をテーマにした硯箱。見事な蒔絵の地に白蝶貝の水干と赤く染めた象牙の紅長袴、べっ甲の太刀。人物のデッサンに苦心した作品。

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京都清宗根付館

京都市に現存する唯一の武家屋敷を修復し、2007年秋に根付専門の美術館として開館。根付コレクターである木下宗昭氏の4000点を超えるコレクションから選び抜いた作品が展示されています。この館で、宮崎輝生の作品を見ることができます。

芝山象嵌 《彫刻のプロセス》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

芝山象嵌の技法1 彫刻

パーツのサイズに貝を切り出し、その上に下絵を貼って絵の線に沿って彫刻し、丸みをつけていきます。この技法が芝山と呼ばれるものです。

芝山象嵌 《彫込》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

芝山象嵌の技法2 彫込

芝山のパーツを器体に仮貼りして針先で輪郭をなぞった後、パーツをはずして、輪郭線の内側を彫り込み、そこに改めてパーツを嵌め込む作業です。

芝山象嵌 《道具》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

芝山象嵌の道具

芝山象嵌は、彫刻用と彫込用にさまざまな刃先の彫刻刀を使います。刃の研ぎにも経験が求められます。

芝山象嵌 《芝山象嵌香合》(具嶋直子、写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

芝山象嵌の今後

宮崎輝生は、江戸、明治の技術を受け継ぐ最後の芝山師と言われていますが、宮崎のもとで修業し、独立した具嶋直子、松本香が芝山象嵌の作家として活動、研鑽を重ねています。また、宮崎は横浜芝山漆器研究会の講師のひとりとして、横浜の伝統工芸の技術継承を支えています。

提供: ストーリー

【協力】
・宮崎輝生
・具嶋直子
・金子皓彦
・ウェッジ「ひととき」編集部
清水三年坂美術館
京都清宗根付館
たばこと塩の博物館
横浜芝山漆器研究会

【撮影】
渞忠之

【映像】
A-PROJECTS 高山謙吾

【監修&テキスト】
田中敦子

【英語サイト翻訳】
・Eddy Y. L. Chang

【英語サイト監修】
・ Melissa M. Rinne (京都国立博物館

【サイト編集】
・千田有佳里(京都女子大学大学院家政学研究科)
・ 小林祐佳 (京都女子大学家政学部生活造形学科)

【プロジェクト・ディレクター】
・ 前﨑信也 (京都女子大学

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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