みかわちやき:長崎県佐世保市、江戸時代初期からつづく磁器を主に生産した窯場

場所
三川内(みかわち)は、長崎県の北東部に位置する。江戸時代から、近接する有田や波佐見とともに、肥前窯業圏の一翼を担ってきた。平戸藩の領内であったことから、江戸時代に三川内で作 られたものは「平戸焼」とも呼ばれる。
三川内焼のはじまり
平戸藩における磁器製造の草創期を担ったのは、朝鮮熊川出身の高麗媼や巨関(こせき) などの朝鮮人陶工とその家族だったと伝えられている。 1633 年(寛永 10)朝鮮人陶工巨関の子である三之丞が、三ツ岳(佐世保市江上町)で磁器 の原料となる陶石を発見し、やがて白磁や染付が焼かれるようになったという。
平戸藩における窯業の本格化
1637 年(寛永 14)、平戸藩主の命により三川内に陶磁器製造所がおかれ、今村三之丞が 皿山棟梁兼代官に任命される。1643 年(寛永 20)以降、三川内山は、江永山、木原山とと もに三皿山体制をつくり、平戸藩の窯業の中心として発達した。
高級磁器の生産
1668 年(寛文8)、平戸藩は三川内山に御細工所、御代官役所、御番宅等合計5棟を新築 した。御細工所には、棟梁の今村弥次兵衛正名をはじめ、20 余名の選抜工人が勤めた。こ の頃から、一般に流通する三川内焼の製作体制とは別に、藩の御用窯としての機能をあわせもつようになり、優れた磁器が作られてた。
透彫り
三川内焼の主要な原料は、天草陶石である。その使用開始時期には諸説あるが、可塑性に富み耐火度が高いこの原料は、陶工の高度な技術を受けとめ様々な細工を実現し、このよ うに繊細な透彫り(すかしぼり)も可能とした。
浮上(置上)
浮上(うきあげ)置上(おきあげ)とは、素地と同じ粘土を水でゆるく溶いた泥漿を、筆に含ませて何度も塗り重ねることで文様を立体的に表現する技法。三川内焼が江戸時代から得意としてきた技である。
卵殻磁器
1837年、「紙のように薄い」磁器が、三川内の池田安次郎によって完成された。当時、その蓋と身を合わせた重さがわずか30グラム程度であったという。他所では真似のできない薄さであった。欧米では「eggshell china/porcelain(卵殻磁器)」と称され、その薄さと美しい色絵の文様が人気を呼び、江戸時代後期から明治時代にかけ三川内焼の輸出の主力商品となった。
上絵の細密画
明治期の三川内では、九谷焼や薩摩焼などと同じく、細密描写を取り入れた作品も作られ た。 六歌仙のデザインは、1876 年(明治9)のフィラデルフィア万国博覧会等に出品された三 川内焼のコーヒーカップにも見られる。欧米で人気を呼び、輸出用の製品に多く描かれた。
唐子文様
松と牡丹に唐子が描かれ、三川内ではリンボウと呼ばれる瓔珞文様で画面を縁取るのが特徴。19 世紀の早い時期に、このような定型化したデザインが確立され、三川内焼を代表する文様となった。
三川内焼美術館
長崎歴史文化博物館
京都女子大学 生活デザイン研究所
提供: ストーリー

【取材協力・資料提供】
長崎歴史文化博物館
佐賀県立九州陶磁文化館

【監修・テキスト】
・松下久子(九州国立博物館

【翻訳】
・エディー・チャン

【サイト編集・制作】
・岡埜有紗(京都女子大学生活造形学科
・中谷渚(京都女子大学生活造形学科
・植山笑子(京都女子大学生活造形学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也 (京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
Google で翻訳
ホーム
トピック
現在地周辺
プロフィール