安来産の鋼を軟鉄で挟む「わかし」の技法で叩き上げる刃物。民藝運動の「用の美」を彷彿とさせる美しさで切れ味も抜群。

奥出雲の自然の中で
JR出雲市駅から国道184号を神戸川(かんどがわ)に沿って南下すると、景勝地としても名高い立久恵峡(たちくえきょう)に出ます。高さ100〜200メートルの奇岩がそそり立ち、九州の耶馬渓国に似ていることから「山陰の耶馬渓」とも言われていますが、神戸川の風化と浸食によってできた地形です。1927年には国の名勝・天然記念物に指定され、1964年には県立自然公園となっています。そんな風光明媚な立久恵峡の手前に、四代続く刃物鍛冶の高橋鍛冶屋はあります。
高橋鍛冶屋の歴史
この土地のあたりの字(あざ)名が「鍛冶屋回り」と言って、野踏鞴※(のだたら)の跡があり、ケラ※が出てきています。これに拠り、このあたりでもともと野鍛冶を行なわれていたのではないか、と四代目の高橋勉さんは考えています。初代は鍛冶の修業に行き、この地に戻って鍛冶屋を始めたのは、それが理由のようです。鍛冶仕事は体力的にも相当厳しく、初代は身体を壊してあまり仕事を長くはできませんでした。勉さんの祖父がその後を継ぎ、2017年に高橋鍛冶屋は106年目を迎えました。 ※踏鞴……古代から近世にかけて行われた製鉄法 ※ケラ……踏鞴の底にできた鉄の塊のこと。
民藝との関わり
先代から民藝運動※との関わりが始まりました。出雲民藝館設立時に、出西窯(しゅっさいがま)の多々納弘光(ただのひろみつ)と倉敷民藝館館長の外村吉之助(とのむらきちのすけ)が島根県内を歩いて調査したところ、昔からの「わかし」技法で造っている鍛冶屋がいないことが分かりました。その時に出雲民藝館の館長が、先代の鍛冶仕事の音を聞きつけて、皆で高橋鍛冶屋を訪ねると、外村がとても先代の鍛冶仕事を気に入り、「民藝館の鉄の仕事を一式やりなさい」と依頼しました。※民藝運動……大正時代末期に柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らによって発起された生活全般にわたる「用の美」を提唱した美術運動のこと。

それがきっかけで日本民藝館展に鍛冶仕事を出品するようになります。 

高橋鍛冶屋の今
もともと高橋鍛冶屋は鋤(すき)、鍬(くわ)などの農具や燭台を作っていましたが、農業が機械化されるに従って、農具の需要が減り、包丁やナイフなどの日用品の需要が増えました。東京の催事に参加するようになると、自分だけの一点ものを作って欲しいという注文が多くなり、看板や表札など今はほとんどがオリジナル商品です。
鍛冶屋の現場
まずコークスで火を熾(おこ)します。そして包丁の中心に当る硬い鉄を叩きます。高橋さんの作る包丁は「わかし」という技法で作られています。これは外が軟鉄で、中に安来鋼の白紙2号というものを使い、鉄蝋(てつろう)という接着剤で張り合わせ、さらに叩いて一枚の板にします。その中心の硬い鉄が炭素鋼で、鋼の原型になっていますが、これにモリブデン※やマンガンを混ぜたものが青紙や赤紙などと呼ばれる鉄の種類になります。包丁は野菜や肉や魚などあまり硬いものは切りませんから、鋼を芯にして軟鉄を外側にします。 ※モリブデン……周期表第6族に属するクロム族元素の一つ、原子番号42。
鋼を叩く
先ず鋼を1300℃まで上がったコークスの中に入れて熱します。スプリングハンマーという機械を使い、手と機械で交互に繰り返し丹念に鋼を叩きます。この機械は先代も使っていたもので、独りで鉄を叩くためにはどうしても必要なものです。適当な長さになったらグラインダーでカットしますが、一本の鋼からだいたい10〜11本の包丁が取れます。
外側の軟鉄を叩く
次に包丁の外側に使う軟鉄の板を折り曲げて、その間に鋼を入れていきます。鋼を挟んで鉄蝋という接着剤を付けて、600℃で仮付けしたあと叩きます。その後、900℃まで温度を上げて本付けをおこない、再び叩いて一枚の板にします。叩いた時に火の粉が飛ぶのは、不純物が外に飛び出るからです。高橋さんが焼けている鉄の色を眼で見ただけで、だいたいの温度を判断できるのは長年培った経験と勘があるからです。
荒仕上げ
叩きながら包丁の形を作ってゆきます。定規で線を引くわけではありませんが、これも高橋さんの長年の勘によるものです。そして形が整うと、鏨(たがね)で切り目を入れて切断します。これをまた火に入れて、再び叩きます。ある程度まで叩いたら、グラインダーで削ります。
本仕上げ
表面を硬くするために、天ぷら油に浸します。それから砂で余分なものを落として、最後にグラインダーをかけて仕上げます。出刃包丁と果物ナイフでは硬さが違うように、刃物は用途によって硬さを変えて造ります。
研ぎ
水研ぎを機械でしてから、最後に砥石で丁寧に研ぎます。検品はいくつか用意された野菜を切って、切れ味を確かめます。切れ味が今ひとつの時には、もう一度研ぎ直します。眼には見えない少しの厚みの違いで、切れ味が変わってきます。
後を継ぐ者
現在、「わかし」の技術を受け継いでいる鍛冶屋は島根では高橋さん一人だけです。また日本中でも、「わかし」の技術を使える人は数人しかいません。この技術は職人の勘に支えられた技術で成立っているため、一度廃れてしまうと復活させるのはなかなか困難を極めます。現在、高橋さんには跡継ぎはいません。この技術を受け継ぐ者が不在だという大きな問題があります。
高橋鍛冶屋
京都女子大学 生活デザイン研究所
提供: ストーリー

【資料提供・協力】
・高橋鍛冶屋

【監修・テキスト】
・上野昌人

【英語サイト翻訳】
・エディ―・チャン

【撮影】
・森善之

【サイト制作・編集】
・岩田 光生(京都女子大学 生活造形学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也(京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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