東京友禅の発祥
友禅とは、糊防染による模様染であり、狭義には糸目糊で模様の輪郭を括り、色を挿す、いわゆる手描き友禅を指します。江戸中期の元禄時代から京都を中心に発達した友禅は、1800年代の文化・文政時代に、大名のお抱え染師が浅草、日本橋、神田に移り住み、技術が伝えられたといわれています。しかし、もともと大消費地であった東京で本格的に友禅が製作されるようになったのは近代に入ってのことになります。
業界リーダーの老舗百貨店
明治時代末からの呉服の需要増加に伴い、大正時代にかけて東京友禅の業界リーダーとなったのは、大手呉服店、つまり後の百貨店でした。日本の代表的な百貨店の多くは、呉服店や古着商として江戸時代に商いを始めています。
例えば現在の三越百貨店は1673年(延宝元年)、「越後屋」の名で呉服店としてスタートしました。着物の事情に通じていた呉服店は、やがて友禅の販売のみならず、製作にも携わるようになります。三越は「三井呉服店」時代の1895年(明治28年)、意匠部を設け、日本画家を嘱託で雇い、新柄の開発に努めました。また、1902年(明治35年)には着物の裾模様の図案を一般からも募集するようになります。
分業生産から作家の友禅制作へ
三越の友禅の仕事をした増山隆方のもとで、中村勝馬は図案だけでなく友禅の技術を習得し、友禅作家として着物を手掛けるようになります。図案―下図―下絵―糊置き―色挿し―糊伏せ(模様のマスキング)―引染(地染め)―蒸し―水洗など多くの工程を踏む友禅は、当初、分業で発達しましたが、大正以降、特に昭和に入って、自ら図案を考案し、自らの手で糊置き、色挿しをする友禅作家が誕生しました。
友禅作家へのルート①
近代に友禅作家となる道は二つありました。一つは友禅の図案を手掛ける者の中から、糊置き、色挿しなどの技術を獲得して友禅作家になるケースです。図案家から染色家となった作家には、増山隆方や、中村勝馬がいます。
友禅作家へのルート②
もう一つの友禅作家へのルートは、友禅の技術者、特に模様師(友禅の下絵を描く職人)が自ら図案を考案するようになり、友禅作家となるケース。例えば友禅の重要無形文化財保持者・田島比呂子は模様師・高村樵耕(しょうこう)、高村柳治(りゅうじ)父子に学びました。また模様師・五代伊藤平五郎も多くの後進を育てています。
大学教育への拡がり
戦後は東京藝術大学や栃木県の文星芸術大学など、美術系大学でアカデミックな友禅教育がなされるようになりました。友禅を大学教育で本格的に扱うカリキュラムは東京が発祥です。中村勝馬の息子・中村光哉は、東京藝大の染色講座創設に尽力し、友禅の普及啓蒙に努めました。
東京友禅技法の特徴―叩き糊、点描糊
東京派の友禅は、京都のように乾いた糊の板を砕いて糊の粒とし、それを蒔く「蒔糊」だけでなく、液状の糊で斑模様をつける方法がしばしばみられます。液状の糊をタンポで叩く「叩き糊」や筒糊を一粒ずつ点で置いていく「点描糊」の方法があります。
点描糊
髙𫞎寛は模様師を父に、中村勝馬や山田貢の指導を受けた戦後生まれの友禅作家です。筒糊を一粒ずつ置いていく点描で模様を築いていきます。
友禅制作の要―糊置き
友禅制作のポイントは糊置きです。これを作家自身が行うことで、分業生産時代に職人が手掛けた細く均一な線だけでなく、抑揚のある糊の“線描”や、感覚的に密度を調整する糊の“点描”などが可能になり、表現は格段に広がっています。また、京都などの鮮やかで雅な友禅に比べ、どちらかといえば寒色系の粋な色調が目立つことも、東京の友禅の特徴です。
京都女子大学 生活デザイン研究所
提供: ストーリー

【画像提供】
水戸市立博物館
早稲田大学図書館
日本工芸会
・高𫞎寛
・中村笠美

【監修・テキスト】
・外舘和子(多摩美術大学)

【英語サイト翻訳】
・黒崎 美曜・ベーテ

【編集】
・中谷渚(京都女子大学 生活造形学科
・永友花奈(京都女子大学 生活造形学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也(京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
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