1738年~2015年

柳川藩主立花邸の歴史

立花家史料館

国指定名勝立花氏庭園は江戸時代には柳川藩主立花家の、明治時代からは伯爵立花家の邸宅でした。そして、現在も四季折々の美しい光景と400年を超えて伝わる立花家大名道具の数々が私たちを魅了します。

近世大名立花家と御花畠
立花家は、柳川を初代藩主立花宗茂(1567-1642)から12代藩主立花鑑寛(1829-1902)まで治めた家です。「柳川藩主立花邸御花」の歴史は、元文三年(1738)に始まります。この年、柳川藩五代藩主立花貞俶は、柳川城の南西隅にあたる、当時御花畠と呼ばれていたこの地に別邸を築きました。そこでは藩主の側室とその子供たちが暮らし、藩主は政務の疲れを癒し家族と和やかな時を過ごすたため時おり御花畠を訪れました。

立花家初代戸次道雪が城主となったことが近世大名立花家の始まりであった。後を継いだ立花宗茂が九州を北上して攻め上がる島津家の猛攻から守った戦功により、豊臣秀吉から柳川に領地を与えられ、柳川城主となったのである。藩祖所縁の城跡を、柳川藩御用絵師の梅沢晴峩(?~1864)が描き、幕末期の日出藩儒学者・帆足万里の賛。晴峩得意の、上品で落ち着いた色調のやまと絵風山水図である。

柳川藩初代藩主立花宗茂(1567-1642)の肖像。近世大名立花家の一歩を踏み出した武将としてその存在感は絶大である。関ヶ原の戦では西軍に加担したため一旦は城を明け渡して浪人の身分となるも、奇跡的に旧領地に復帰した大名として立花家の歴史を柳川の地につないだ。しかしながら、宗茂の時代には現在の柳川藩主立花邸(名勝立花氏庭園)はまだ創建されておらず、藩主は専ら柳川城で生活を送っていた。

五代藩主貞俶(さだよし)所用の鞍。この藩主の代に、柳川城の奥の機能を移設する形で御花畠に屋敷を構え、それが現在の名勝立花氏庭園へとつながっている。貞俶は肖像画が残っておらずその姿はわからないが、沢山の書簡資料が発見され、その人物像が浮き彫りにされた。詳細は『柳川市史別編・図説立花家記』第2章五代藩主貞俶を参照されたい。

この絵図は、立花氏庭園の江戸時代の姿が描かれた唯一の資料である。現在の立花氏庭園の東側に大きな池があり、その周囲には四季折々の花木が植えられ、回遊式になっていたことがわかる。画面左上方の築山と池の大部分は現在も残っていて、大名庭園であった頃の様子をわずかにとどめている。

編者の西原一甫は、江戸用人を務めた藩士であり、当代一級の文人たちと交遊を重ね、最先端の文化に触れた人物として柳川藩にあって際立った存在であったといえよう。そういった流行に敏感であった一甫が当時流行りの名所図会を倣って『柳川明証図会』を編したが出版までには至らず、草稿として残っているのが本資料である。ここには立花邸であった御花畑の園地も描かれている。挿図は柳川の絵師、古賀富次郎南汀の手になる。

伯爵立花家の歴史
明治時代には立花家は伯爵となり、柳川の地に生活の拠点を置きました。御花畠の屋敷地には次々と新たな明治時代の様式の建物や庭園が創建され、立花家の人々はそこで暮らしました。明治43年に完成した西洋館と和館および庭園が現在の姿に繋がっています。

明治43年には洋館と和館が並び立つ新しいスタイルの立花伯爵家住宅が完成した。西洋館は主に迎賓の場として来賓を迎え、和館から望む松濤園と名付けられた庭園は、明治の息吹を感じさせる大らかで開放感あふれる光景となった。

創建当初の松濤園と和館。立花家の人々が日常を送っていた場所である。現在の名勝立花氏庭園を訪れてみると、この光景が成長した松以外は変わらず保たれていることがわかる。

創建当初の立花伯爵家の人々の写真。立花家の人々は庭園に面した伝統的な日本家屋で日常生活を営んでいた。当時の古写真を見ると、主に男性は洋装、女性は和装で過ごしていたようである。
左前方から鑑徳(立花家15代当主)寛治(14代当主)艶子(鑑徳夫人)くつ脱ぎ石の上の幼女は文子(あやこ)、16代目で後に島村速雄の息子和雄を婿として迎え、立花家を継ぐ。

西洋館は木造2階建ての洋風建築で、立花伯爵家の迎賓館として使われた。玄関には華やかな三連アーチが設けられ、内部も伯爵家住宅にふさわしく重厚な装飾が ほどこされている。

大広間と御居間に面した庭園・松濤園は明治時代末に整えられた近代庭園である。池を中心に、周囲に280本もの松を配した華やかな庭で、池の岩島の配置には当時の伯爵寛治の意向が強く反映されている。

敗戦後の立花家
第2次大戦後は観光業へ転身し、株式会社を興して歴代が伝えた文化遺産と立花邸を守り続けました。

終戦後まもなく、御花は新たに「料亭旅館 御花」として再出発を果たす。旧華族たちが戦後困窮する中、当時立花家の当主であった和雄とその夫人文子は、旧伯爵邸を利用して料亭業を営むことを決意した。

最初は手探りの状態だったが、やがて「柳川藩主立花邸御花」は水郷柳川の観光の拠点として、また、大名文化を今に伝える文化施設として親しまれるようになった。

そして今に
2011年9月柳川藩主立花邸全敷地7千坪が国の名勝「立花氏庭園」として追加指定されました。2014年12月1日には公益財団法人立花財団が設立され、立花家が伝えた歴史資料のすべてが財団へ寄附され、保存・研究・公開が立花家史料館で行われることになりました。

史料館には、立花家伝来の近世大名道具や近代伯爵家資料およそ5千点が収蔵されている。また、現在柳川古文書館に寄託されている伝来史料「大友文書・立花家文書」(重要文化財)も含め、季節ごとに展示替をしながら公開中。

時代の流れとともに、名勝立花氏庭園は藩主家から伯爵家そして料亭御花へと変貌をとげてきた。しかし、変わらないことは立花家の歴史資産がこの柳川の地に残り続けていることである。そしてこれからも、変わることなく歴史をこの地に刻みつづけてゆく。

立花家史料館
提供: ストーリー

公益財団法人立花財団 立花家史料館
株式会社御花

提供: 全展示アイテム
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