江戸時代から栄えた、京都を代表する染色。明治初期に生産が拡大した型紙を用いた友禅染。

「京友禅」とは
友禅染は糊で防染し、地の色と模様を染め分ける技法です。京友禅の数多い制作工程は、それぞれを専門の職人が担当する「分業制」をとっています。呉服屋から着物の発注があると、白生地をもった「悉皆(染匠とも)」が、各職人・工場・工房をまわります。プロフェッショナルが高度な技術を持ち寄り、数か月かけて制作するのです。
「京友禅」とは
 「友禅染」と呼ばれるのは宮崎友禅に由来する、と言われています。宮崎友禅は元禄(1688~1704)頃、京都東山・知恩院前に住む扇面画を専門とした絵法師、と伝わります。彼は友禅染の技法の開発者ではありません。なぜ「友禅染」なのか?それは彼の生み出した意匠が非常に人気だったからです。友禅風の丸文様や絵画的図様は、尾形光琳にちなむ光琳文様とならび好評を博しました。
近代の京友禅
明治時代になると、海外から化学染料(合成染料)が導入されました。堀川新三郎(1851~1914)や廣瀬治助(1822~1890)により、化学染料による写し糊の技法が開発され、型紙をつかって染める型友禅が確立。プリント捺染技術の先駆けとなります。またいくつかの呉服屋が日本画家を雇い下絵を描かせることで、写実的な表現やそれまでにないデザインが生み出されました。大正期ごろは図案を専門とする図案家が職業として成立し、ユニークなデザインが生み出されていきました。
型友禅とは
 型友禅は、型紙を用いて文様を染め出します。堀川新三郎がモスリン友禅を創始し、廣瀬治助が堀川の写し染の技法を絹縮緬に応用。型紙を用い化学染料を糊に混ぜた色糊で模様を染める写し友禅の技法を完成しました。 型紙染は日本画に近い着彩図案や、それに伴う何百枚もの型紙を要するリスクがあります。柄の染付けもズレない様に仕上げる技術や、出来上がりを想像し配色を決めるなど、専門の職人が長年培った高度な手技や経験・感性をも必要とされる技法です。また数えきれない程の型紙の保管庫や広大な敷地を有する工房が必要なため、代々続く家業店しか現在残っていません。
型紙の製作
図案をもとに色の数や濃淡の型枚数を決め、型紙を彫っていきます。下絵を赤いカーボン紙を使って、「きめつけ刀(鉄筆状のペン)」で型紙に写します。以前は和紙に柿渋をぬったものでしたが、今は合成紙も使用されます。また、現在では写真型(シルク・スクリーン)を使用することも多くなっています。単色で染める場合も、模様によっては型紙の彫刻をわけます。多色染のような複雑なものの場合、何十枚、何百枚と型紙を彫ることも珍しくありません。
色合わせ
型友禅には、摺り刷毛で染料を摺りこんで染める「摺り友禅」と、染料を混ぜた糊で生地を染める「写し友禅」があります。写し友禅でつかう色糊は、もち米や糠(ぬか)を主原料とする固形の友禅糊と、液体染料を石灰棒でまぜ調合します。糊の表面色と実際の仕上りの色がかなり異なるため、何度も裂で試しながら最終決定をします。この色糊で文様を型で糊置きし、蒸すと染料だけが生地に染み込み、残った糊は水洗いし落としてしまいます。最近では糊を作る業者もほとんど無くなり、型染めに限らず糊を使用する手描き友禅、江戸小紋、紅型等の染め関係者は危機感をつのらせています。
型置き
台の上におかれた「友禅板」とよばれる7mほどある樅(もみ)の木の一枚板に薄い糊で生地をはりつけます。型紙には模様がずれないよう「送り星」「合せ星」と呼ばれる目印があり、それを合わせ、少しずつ横に移動し生地に柄を染めつけます。色数や色の濃淡、ボカシなどにより何度も型置きし、乾燥させます。地色を染める前に糊置きをして防染し、地染めをします。あとは手描き友禅と同様、蒸しや水元などの工程を経て、染料を定着させ、仕上げをおこないます。
立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学
提供: ストーリー

監修&テキスト: 山本真紗子 (日本学術振興会特別研究員)

資料提供: 株式会社小糸染芸

協力: 公益財団法人 京都伝統産業交流センター 京都伝統産業ふれあい館

写真&映像: A-PROJECTS 高山謙吾

編集: 山本真紗子 (日本学術振興会特別研究員)

英語サイト翻訳: Juliet Winters Carpenter (同志社女子大学英語英文学科 特任教授)

英語サイト監修: Melissa M. Rinne (京都国立博物館

プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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