1961年~1967年

手塚治虫 テレビアニメ・黎明編

手塚治虫

アトムが空を飛び、漫画映画の時代はテレビ・アニメーションの時代へと変わった

ようこそ。

このコーナーでは日本の漫画の歴史に革命を起こし、生涯を通じて膨大な名作、傑作を遺した手塚治虫のアニメ作家としての側面をご紹介します。

『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』といった漫画作品を少年誌に連載し、人気漫画家としての地位を不動のものとしていた手塚治虫は、1958年、東映動画から『西遊記』のアニメ化を打診され、アニメーションの世界に足を踏み入れていくことになる。

このとき、東映動画の嘱託社員として動画の制作に関わったことで、手塚治虫は憧れのウォルト・ディズニーに近づく夢を現実のものとする時期が来ていると感じた。

【1961年】

動画プロダクション「虫プロダクション」を設立

虫プロダクション スタジオ内部

手塚治虫のことば

「1961年に動画プロダクションを設立しました。けれど設立した以上は何か画期的な作品を発表しなければ、看板倒れである。

そこで、スタッフ一同、一丸となって金がかからず、なるべく動かさずに済む長編動画を作ろうと決めた。

『ある街角の物語』という、シネスコ40分前後の作品を 1年かかって作り上げたのです」

ある街角の物語(1961年)

手塚治虫のことば

「『ある街角の物語』は一種の映画詩で、登場人物としてポスターだの、街路樹だの、街灯だの、熊のオモチャだのと、ほとんど動かないものばかりなのでひどい動画である。ところが、これが芸術祭賞やブルーリボン賞をいただいてしまった。

しかしアニメーションという言葉は、そもそも生き物という言葉と結びついているのだ。そして生き物は、必ず動く。この動きを絵に描くのがアニメーション。動かないアニメなんて、本当はアニメーションなんかじゃないのだ」

動き、変化するアニメーション

手塚治虫のことば

「それでも実験動画の制作は楽しかった。どうせ売り物ではないのだと言うあきらめが、かえってスタッフみんなの創作意欲をかき立てたのでしょう」

漫画「アトム大使」に登場した初期のアトム

手塚治虫のことば

「1961年に発足した虫プロダクションでしたが、スタッフの生活を安定させるためにも、屋台骨を支えてくれる仕事が必要でした。

そこで「よし、テレビまんがを作ろう。30分物の漫画映画を週に一本、テレビで放送するんだ」と発案したのです。

『無茶ですよ! 出来るわけがありません』とスタッフは恐れをなしましたが、『いや、何か作る方法があるはずだ。絵の枚数をうんと減らし、止まってる絵を台詞でごまかそう』とスタッフを鼓舞しました。 

幼い頃からウォルト・ディズニーに魅せられ、憧れていたぼくは、そのディズニーに一歩でも近づきたかったのです」

【1963年】

アメリカでケネディー大統領が暗殺され、日本ではプロレスラーの力道山が刺されて亡くなり、ベトナムでは軍事クーデターが起こったこの年は、人の心にそこはかとない不安が生まれていた年でした。

けれど一方で日本とアメリカの間で初めての衛星放送中継が開始されたり、日本の各地に新しいテレビ局が開局されたりと、1960年から試験的にカラー放送がはじまったことも含め《テレビの時代》が本格的に一般家庭に浸透してきた時代だとも言えます。

アニメ版「鉄腕アトム」1963年1月1日に放送を開始

鉄腕アトム(1963年〜1966年)

手塚治虫のことば

「『鉄腕アトム』がアニメーションとしてテレビにお目見えしたのは1963 年(昭和 38 年)1月 1日です。テレビでアニメーション番組を連続ものとして制作するのは日本では『鉄腕アトム』が最初でした。

ちなみに、毎週一回、30分のアニメ番組というのはいま現在もテレビの主流になっていますが、このスタイルを確立したのも『鉄腕アトム』で、これは世界で初めての試みだったのです」

1963年(昭和38年)1月1日 

「鉄腕アトム」の初回視聴率は27.4% 。

最高視聴率(ニールセン調べ)は1964年8月29日に放送された第84話「イルカ文明」が記録した40.7%。

手塚治虫のことば

「いま現在も二本足で立つ人間型のロボットアニメが世界中で愛されていて、現実に二本の足で歩き、二本の手でものを持ち上げたりする、そんな人間のお友達としてのロボットが開発されたのも、日本が世界有数のロボット大国となったのも、すべて元を辿ればこの『鉄腕アトム』の遺産だと、そう言えるかもしれません」

W3(ワンダースリー)

手塚治虫のことば

「30分のテレビアニメーションを一週間に一本制作する、という状況の中でも、ぼくは同時に漫画を描き続けていました」

新選組
ビッグX

手塚治虫のことば

「当時の僕は、テレビアニメーションを週に一本作りながら、同時に 「ビッグX」や「W3」の連載も開始して、まさに漫画とアニメの泥沼に落ち込み始めていくのです」

テレビアニメーションの草分けだった『鉄腕アトム』は、同時にアニメキャラクターの商品化や主題歌のレコード化など、現在のマーチャンダイズの草分けでもあった。

主題歌の作詞には日本の現代詩に新風を吹き込んでいた谷川俊太郎氏が起用された。

そんな鉄腕アトムは4年間で193本も作られ、テレビアニメの黎明期の歴史を飾りました。

【1964年】

手塚治虫のことば

「ビートルズの人気が世界を席巻し、日本国内ではいくつものハイウェイが開通し、そして東京オリンピックで日本中が沸き返ったのがこの年です。そしてこの年、僕自身も生涯の夢が叶い、舞い上がってしまうような体験をしたのです」

ウォルト・ディズニーと出会った時の手塚治虫

手塚治虫のことば

「僕はディズニーに惹かれ、ディズニーに魅せられ、ディズニーによって人生が決定してしまった。その僕がニューヨークでウォルト・ディズニーとあった。と言うより、本当はすれ違ったという方があっている。

NY世界博覧会の開場の日偶然、彼と話を交わすチャンスを得たのである。舞台上で挨拶を終えたディズニーがステージを降りてきたところで、僕はばったりと彼に出会ってしまった。ドギマギして、しどろもどろになりながら、ぼくは自己紹介をした。 

『私は日本のアニメプロのチーフです』

『それはようこそ』 

『アストロボーイを作りました』 

『おお、アストロボーイは知ってる。ロスで見ました。見事な作品です』 

『ありがとう、スタッフが喜びます。ところでアレについて、感想聞かせていただけませんでしょうか』 

『非常に興味深い科学物語です。これからの子供たちは、宇宙を見ています。私もひとつ作ろうと思う。お暇ならバーバンクへいらっしゃい』」

手塚治虫が描いたウォルト・ディズニー

めもりい、人魚(短編実験アニメ、共に1964年)

手塚治虫のことば

「偉大なディズニーが死んだが、彼の真の後継者は、ほとんど出ないと思う。なぜなら、技術や方法論は学んでも彼の飽く事なき夢の追求精神は、誰にも真似できないだろうから。

そしてぼくは『ファンタジア』や『シリー・シンフォニー』でディズニーが魅せてくれたアニメーションの芸術的な可能性を、ぼく自身の手でも追求していきました。

安く早くがモットーの動きの少ないテレビ・アニメーションを作りながら、同時にアニメ本来の動く絵の楽しさ、なまめかしさ、そういった物を追求していたのです」

W3(ワンダースリー)(1965年〜1966年)

手塚治虫のことば

「放映開始当初は評判も良くて視聴率は上々であった。

ところが、翌年の正月から円谷プロの初のテレビドラマが裏番組に来ることになった。これには毎週、いろんなゴジラが出るらしいと聞いて、ぼくは「これは一大事だ!」と思いました。

そしてじっさいにその番組がはじまってみると、子供たちは大怪獣の姿に魅了され、次の週からはこちらの視聴率がガクンと下がって、以降、その状態のまま、ということになってしまいました」

手塚治虫幼少期 宝塚歌劇団スターとともに(右側の男の子が手塚治虫)

リボンの騎士(1967年)

手塚治虫のことば

「僕の故郷は、少女歌劇で有名な宝塚です。

したがって、当然僕は、少年時代、青春時代を、歌劇の甘く華やかな雰囲気の中で過ごしました。

僕の作品の登場人物のコスチュームや背景は、かなり舞台の影響を受けていますが、何より僕の少女物の作品は、宝塚へのノスタルジアを込めて作ったものが多いのです」

手塚治虫のことば

「鉄腕アトムで描いた未来の暮らしに一歩近づいたようにも見えたこの時代に、ぼくはあえて大自然の中を自由に生きる動物たちの、壮大な大河物語をテレビ・アニメーションで作っていました」

ジャングル大帝(1965年〜1966年)

手塚治虫のことば

「現代のジャングルはブルドーザーが走り回る開拓地に変わりました。なので未開の大地、うっそうとした密林というイメージとはがらりと変わった、原作とはまったく別個の作品として、『ジャングル大帝』は生まれ変わりました」

 「ミュージカル的な要素を加えたことで、このアニメーションは面白く、見る人の記憶に残る作品に思いました」

【ジャングル大帝 1966年 年間優秀テレビ映画第一位(厚生省中央児童文化財部会)に選ばれる】

手塚治虫のことば

「けれど私は、やはりレオやライヤの住む世界は人の誰も知らない森の奥や山の向こうで、動物たちが俗塵も浴びず、天使のように無邪気に跳ね回っている世界がいちばん好きです。

どんな近代科学が発達した社会になっても、私はこの夢だけは捨てたくないのです」

提供: ストーリー

制作 — 手塚プロダクション
Produced by — Tezuka Productions Co., LTD.

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
Google で翻訳
ホーム
トピック
現在地周辺
プロフィール