失われた街を偲んで

広島平和記念資料館

現在の平和記念公園には、かつて中島本町(なかじまほんまち)、材木町(ざいもくちょう)などの町があり、映画館やカフェなどのある賑やかな町として栄えていました。元安川の対岸側にあった国泰寺には樹齢300年といわれる大きなクスノキがありました。その根を守るため市内電車の軌道は迂回し歩道は高く盛り上げられ、人びとに大切にされていました。また、基町にあった西練兵場では、毎年10月に招魂祭が行なわれていました。これらの街の風景や人びとの営みは、被爆によって失われました。

店頭ディスプレイ   寄贈/薮野 賢映氏 所蔵/広島平和記念資料館

店頭ディスプレイ

中島本町で貴金属や万年筆などの販売をしていた天津久盛堂(あまつきゅうせいどう)にあったもの。同店は爆心地に近く、原爆により何もかも焼き尽くされましたが、この店頭ディスプレイは広島市郊外へ疎開させていたため被爆を免れました。被爆前の中島本町は、町の中心を旧西国街道(中島本通り)がつき抜けるにぎやかな町で、映画館やカフェが人気を博していました。

写真館の紙袋

中島本町にあった、スター写真館の写真用紙袋。爆心地にほど近い同店は被爆により焼き尽くされ、経営者一家も全員亡くなりました。

写真館の紙袋  寄贈/岸本 欣一氏 所蔵/広島平和記念資料館
クスノキの一部  寄贈/佐々木 重臣氏 所蔵/広島平和記念資料館

国泰寺には、樹齢300年といわれる大きなクスノキがありました。根を守るため、国泰寺のすぐそばを通る市内電車は軌道を迂回し、人々に大切にされていましたが、原爆により枯れ、現在はその姿を見ることはできません。これは寄贈者の祖父が甥を捜しに入市した際、国泰寺で収集したものです。

国泰寺のクスノキ 絵/中野 健一氏 所蔵/広島平和記念資料館

招魂祭(しょうこんさい)の風呂敷

1930(昭和5)年10月の広島招魂祭の風呂敷。毎年10月に西練兵場を会場に行なわれた招魂祭には、多くの出店が出店されるなど人びとの話題を集めました。その他、呼び物としてオートバイ競走などが行なわれました。

招魂祭(しょうこんさい)の風呂敷  寄贈/光本 乾氏
招魂祭の風景  絵/秋山 和男氏 所蔵/広島平和記念資料館
広島諸商仕入買物案内記并ニ名所  寄贈/岩瀬 節子氏 所蔵/広島平和記念資料館

広島諸商仕入買物案内記并ニ名所

1883(明治16)年10月発行。当時の主な商家や軒並みが銅版画で刷られ、戦前の広島の姿が生き生きと描かれています。これを所有していた岩瀬秀三郎さんは原爆により亡くなり、数十年後、遺骨が原爆供養塔に保管されているのが発見され、遺族の元へかえされました。

最新広島市街地図   寄贈/南 恵三氏 所蔵/広島平和記念資料館
中島本町周辺の風景 絵/ 実国 孫市氏 所蔵/広島平和記念資料館
提供: ストーリー

contributor — Masateru Yabuno, Kinichi Kishimoto, Shigeomi Sasaki, Ken Mitsumoto, Setsuko Iwase, Keiso Minami
creator — Kazuo Akiyama, Kenichi Nakano, Magoichi Jitsukuni

提供: 全展示アイテム
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