古筆の名品

京都国立博物館

平安時代、中国から輸入された漢字をもとに、日本では「かな」が発明されます。

筆という道具によって記された曲線的でシンプルな「かな」の文字は、美しい日本独自の「書」を生み出しました。能書家をはじめとする、いにしえの人々が残したすぐれた書跡は「古筆」と呼ばれ、現代に至るまで多くの人に尊ばれています。京都国立博物館に所蔵される古筆の名品をじっくりご堪能ください。

手鑑「藻塩草」
室町時代の終わりごろから古の人たちの名筆=古筆(こひつ)を切断して鑑賞するという風潮が盛んになると、それを一定の基準のもと台紙に貼り付けるということが行われるようになった。こうして出現したのが手鑑(てかがみ)である。  「藻塩草」は、「見ぬ世の友」(出光美術館蔵)・「翰墨場(かんぼくじょう)」(MOA美術館蔵)とともに国宝三大手鑑の一つとして知られ、江戸時代を通じて古筆鑑定の中心にあった古筆家(こひつけ)の鑑定台帳として伝えられた。

奈良時代から室町時代の古筆切242葉を収め、高野切(こうやぎれ)や法輪寺切といった平安時代の代表的な古筆をはじめ、南院切(なんいんぎれ)や四辻切といった珍しいもの、あるいは室町切のように類品がないものも所収されており、資料的価値がきわめてたかい。

一般的な手鑑とは異なり、それぞれの切には極札が付されておらず、代わりに古筆了伴(りょうはん)(1790~1853)による目録2冊がべつに添えられている。このことから、鑑定をなりわいとした古筆家において、鑑識眼をやしなうための練習用手鑑としての意味もあったと思われる。

古今和歌集 巻第十二残巻(本阿弥切)
平安時代のはじめに紀貫之(きのつらゆき)(生没年不詳)らが撰した『古今和歌集』のうち、巻第十二・恋歌二の冒頭より48首が書写される。歌の配列と紙継ぎ目とを比較すると、4紙目と5紙目の間および巻末部分は切断されている。  

一見しただけで、具引地(ぐびきじ)に雲母(きら)で夾竹桃(きょうちくとう)の文様を刷りだした舶載の唐紙、緩急抑揚にとむ丸みを帯びた繊細かつ流れるような筆跡に目を奪われる。その運筆は烏丸光広(からすまるみつひろ)(1579~1638)が「あたかも野の花に似て、露を帯びている」と大絶賛している。小野道風(みちかぜ)(894~966)筆とのいわれをもつが、11世紀後半から12世紀前半の書写であろう。

切の名称は、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)(1558~1637)が同様の特徴をもつ『古今和歌集』のうち、巻第十・十一・十四の残巻を愛蔵したと伝えることにちなむ。
 一般的に、本阿弥切は10行程度の断簡がほとんどで、表面の胡粉(ごふん)が剥落し、文字の判読が困難になるような傷みをともなうものが多い。しかし、本巻は8紙分もが残り、くわえて保存状態もよく、平安貴族の好んだであろう美意識をまったく失うことなくいまに伝えている。出羽(でわ)鶴岡藩主・酒井家の旧蔵品。

芦手絵和漢朗詠抄
『和漢朗詠集』は11世紀初頭に藤原公任(きんとう)(966~1041)が撰集したもので、漢詩と和歌、計804首を収録する。福岡孝弟(たかちか)(1835~1919)や原富太郎(三渓、1868~1939)など、名だたる蒐集家たちの手を経たこの2巻は、もともと遠江(とおとうみ)掛川藩主・太田家の旧蔵品である。    

内容をみると、各巻の首題に「和漢朗詠抄」とあるが抄出本ではなく完本で、上巻には四季、下巻に雑の部をおく。下巻の奥書(おくがき)には「永暦元年四月二日、右筆黷之、司農少伊行」とあり、藤原定信(1088~?)の子にして当代屈指の能書・伊行(これゆき)(生没年不詳)が永暦元年4月に書写したことが知られる。このほかに伊行の確実な遺墨は伝わっておらず、唯一の筆跡としてすこぶる貴重である。

こうした希少性とともに特筆されるべきは、伊行の筆さばきを見事なまでに演出する料紙の装飾である。群青(ぐんじょう)や緑青(ろくしょう)を用いて柳・流水・水鳥などの景物にくわえ、芦手とよばれる意匠化された文字を描きこむ。この芦手には、文中の歌をキーワードとした謎がかけられているともいわれ、平安貴族の優雅な遊び心をいまに伝える。

一品経和歌懐紙 
西行(さいぎょう)(円位、1118~90)や寂蓮(じゃくれん)(?~1202)をはじめ、平安時代末期を代表する歌人たちが法華経二十八品の一品ずつを歌題として詠んだ和歌の懐紙。各人の位署書などから、治承(じしょう)4年(1180)から寿永(じゅえい)元年(1182)の間に成立したと考えられる。ただし、西行のみは同一機会の懐紙とは考えにくいとの指摘もある。

もとは28紙、ないしは無量義経と観普賢経の分を加えた30紙あったと思われるが、現在は14紙が残り、西行の懐紙は掛幅装に、ほかはアルバム状の台紙に貼り込まれている。橋本経亮(つねあきら)(1755~1805)の随筆『梅窓筆記』をみると、「南都一乗院宮御蔵経文題歌、西行・寂連ソノ外当寺人十二枚ノ懐紙」とあり、興福寺一乗院の旧蔵品で、すでに江戸時代には現在とおなじ14枚であったことがわかる。これ以前は、それぞれの中央付近に折り目が残り、紙背(しはい)には仏書らしきものが書写された痕跡があることから、懐紙の裏を冊子として利用していたのだろう。
これらは現存する和歌懐紙のなかでは最も古く、名だたる歌人たちの筆跡がまとまっている点で重要である。また、西行を伝称筆者とする古筆切(こひつぎれ)は数多くあるが、真筆と目されるものは他に数えるほどしかなく、その意味でもたいへん貴重である。

一品経和歌懐紙
西行筆

一品経和歌懐紙
寂蓮筆

一品経和歌懐紙(12世紀)
賀茂重保筆

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