沿革・由来
大館曲げわっぱは、度重なる大火により文献や現物が焼失しているため詳しい資料は少ないが、10世紀初頭の遺跡からも発見されるなど非常に長い歴史がある。

江戸時代(1602年頃)になると、その日の暮らしに困るほど貧しい領民の窮状を救済するため、大館を治めていた佐竹西家によって領内の豊富な森林資源を生かし、当時、杣夫(そまふ)が作って使用していた曲げ物の弁当を下級武士の内職として奨励したといわれている。

当時は、下級武士が曲げわっぱの製作に力を入れ100人以上の職人がおり、主に生活必需品の製作が多く、特に弁当は、農家は大きな丸形、商人は小判型、船乗りは紐通しの付いた船弁当など、職業により使い易いような形に工夫されてきた。

現在も、弁当箱やコーヒーカップなど人々の生活に寄り添った製品を製作している。

平安中期(10世紀初頭)の曲げわっぱ
平安時代に起きた大洪水により埋没した家屋からほぼ完全な形を保って発掘された。 高さは9センチほど、胴部は桜皮でつなぎ、胴と底は木釘で留めている。
曲げわっぱができるまで
曲げわっぱは、杉を曲げ、桜皮で縫う技法を1,000年以上も受け継いでおり、使用する杉は、秋田県内で育った秋田杉を使用し樹齢200年になるものも使用される。

曲げ加工: 秋田杉の板を熱湯で煮沸かし軟らかくなった板を熱いうちに素手で曲げる。

乾燥: 曲げた板(わっぱ)を木ばさみで固定し、十分に乾燥させる。

桜皮縫い: 乾燥したわっぱを接着し桜皮で縫い留める。

底入れ:底板を隙間の無いようにはめ込む。

秋田県庁
提供: 全展示アイテム
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