日本人形の美しさとその歴史をご紹介

日本の人形文化
古代の昔から、人形は日本文化の一部でした。 崇拝のアイテム、子供の玩具、または喜びを与えてくれるものを象徴しています。 人形の外見は常に変化しますが、日本人が人形を愛する気持ちは揺るぐことはありませんでした。 日本には、主に2つの人形のお祭りがあります。 まずは年に一度、3月3日に祝われるひな祭り。これは女の子のためのお人形のお祭りです。 もう1つは端午の節句。男の子のためのお祭りで、毎年5月5日にお祝いをします。

今日でも日本では、人形は装飾や娯楽のオブジェクトであるだけでなく、まるで生きているかのように扱われます。 その様な特別な行動の表れは、人形供養の儀式に見て取れます。 人形の持ち主が止む無く手放さなければならない時、人形をお寺へ持って行きます。そこでは古い人形、新しい人形、高価なものも普通の人形も、一緒に積み重ねられます。 持ち主が最後の別れの言葉と深い感謝の気持ちを伝えた後、人形たちは荼毘にふされます。

ひな人形は多くの種類が見られますが、2つの主な人形が特に目を引きます。 最初の人形のグループは、京ひなと呼ばれています。 この人形は、古い日本の都である京都周辺の地域で人気があります。 もう一つの人形のグループは江戸びなと呼ばれ、現在の日本の首都である東京周辺の地域で典型的なひな人形です。

京ひなスタイルの天皇陛下を模した人形。

京ひなスタイルの天皇陛下を模した人形。

ひな祭りの間、女の子がいる家庭では一連のひな人形を飾ります。 人形たちは赤い布で覆われた特別な台の上に並べられます。 これは江戸における天皇陛下のご成婚を表しています。

6段の飾りの中で、天皇陛下と皇后陛下は最上段に配置されます。 そのすぐ下には、3 人の官女を並べます。

官女の下には、若い男性の演奏者が、各々が演奏する楽器の音の大きい順番に左から右へ注意深く並べられます(5人囃子)。

この立っている人形は、伝統的な小鼓を演奏しています。 この楽器を叩く前、または後の瞬間を捉えた、手の上がりに注目してください。

4段目には、天皇陛下の2人の武装した警護官(随身)。 左側の若者は戦いを、右側の老人は学問を責務とします。この下には天皇の庭の世話をする3人の召使い(仕丁)が座っています。

左大臣の人形は賢く、年上の政治家であり、弓矢と剣を持っています。 これに相当する若者の右大臣は、彼の右側にいます。

天皇陛下の庭師を表す人形の顔は、一連の人間の感情、喜び、怒り、悲しみを表現しています。

温かみを表現する天皇家の庭師。

悲しみを表現する天皇家の庭師。

人形の家具
ひな人形のセットには、人形だけでなく細かく細工された家具も含まれており、これは天皇からの贈り物の一部です。

黒と赤の漆で塗られた小さな2つのテーブルには、お揃いのお椀と入れ物が、金のモチーフでエレガントに装飾されています。

2本の小さな木は、天皇陛下の庭の左側に植えられたみかんと、右側に植えられたスミミザクラを表しています。

天皇陛下の庭にある、花が咲き、実のなっているみかんの木

天皇陛下に庭にある、花咲く桜(スミミザクラ)の木

ひな人形の助けにより、家族は女の子が幸せな結婚への祈りを表現します。日本人はひな飾りをひな祭りの後まで飾っておくと、娘の結婚が遅くなると信じています。

このような行事は、外国人には理解しがたいですが、日本人は人形に心と魂や宿っているかのように、生き物として扱います。

その美しい人形への大いなる賛美は、絶えることのない技術的な進歩をもたらしました。 使用される材料はより多様になり、小物の製作はより精密になりました。たとえば、人形の着物に使われるテキスタイルの織りや染色などがその一例です。

人形の家具や装飾品の木材、漆、および金箔の要素は、卓越した正確さで作られています。

これらは、左大臣が持っている小さな、漆を塗った烏帽子、剣、弓矢です。

使用される色、人形の製造方法などは、呼応する歴史的時期の典型的なスタイルを反映していますが、これらは常に、日本人の美的感覚を表現しています。

そのほかの女の子の人形

姫ダルマ(ダルマ人形)

4世紀の伝説には、皇后陛下が天皇陛下とともに戦場へ赴いたという話があります。 その移動の途中、四国にある鉱泉に立ち寄ると、そこで皇后陛下は子を身ごもりました。 にもかかわらず、皇后陛下は戦いに加わり、子供を出産しました。

姫ダルマ(ダルマ、またはダルマ人形)は、赤いオムツに包まれて、その後第15代目の日本の天皇になる子供を表しています。 日本では、処女に姫だるま人形を与えると、2年以内に結婚するということが信じられています。

木目込み人形

人形のエレガントなシルエットを強調するため、本体に幅の狭い溝を彫り、着物の布を正確に押し込み、本体を包み込みます。 この技術は木目込みと呼ばれています。

多くの日本人形の目はガラスで作られていますが、木目込み人形ではすべて描かれています。 これらの人形の魅力は、人形の顔の表情にそれぞれ個々の職人が他にはない味を加えているという事実にもよるところもあります。

ダルマ(またはダルマ人形)

ダルマは、伝統的な、中が空洞の紙製の人形で、仏教の禅宗インド人の開祖のである菩提達磨を抽象的に表現しています。 この人形は、伝統的に瞑想のポーズで座っているように表現され、とりわけ大きな目と大胆なヒゲを持ち、人形全体は普通赤で塗られています。

ダルマ人形は、我慢強さを象徴しています。 その丸い形と不安定な見かけにもかかわらず、この人形の重たい下部が安定を保ち、垂直に立っていられます。 したがって、たとえば転んでも、次が必ず成功するのだから、再び立ち上がってチャレンジすることが大事というアイデアを体現しています。

この人形の目は、最初は描かれておらず、なにもない白い場所が残されています。 何か願い事をする、または新しい目標を追うことを決意した時には左目を描き、その目標を達成したり、夢が叶ったら、右側の目も描き入れます。 ダルマの目が見えるようになるか否かは、目標を実現するその人の努力にかかっているのです。

日本で最も人気のある女の子のための日本人形達。

男の子のための伝統的な人形
日本文化には、ひな祭り(女の子の健やかな成長を祈る日)の男の子版、端午の節句(男の子の健やかな成長を祈る日)があります。 これは菖蒲の節句とも言い、旧暦の5の月の5の日、現在の5月5日に毎年日本で祝われています。 これには非常に長い歴史があります。 実際、端午の節句は奈良時代(8世紀)から存在します。 この日付は、日本で春から夏に変わる節目であることから選ばれました。 伝統的にこのお祭りでは、病気や災害から身を守る様々な儀式を行っていました。 都にあった天皇の宮中は日本の菖蒲で飾られ、貴族が薬草を飲んだと言われています。 走る馬から弓を放つ流鏑馬は、悪霊を追い払います。

16世紀、賢くて勇敢な山中鹿介(幸盛)という侍がいました。 彼は鹿の角を付けた珍しい兜で知られていました。 侍の人形は、このセットの最上段に飾られます。

鹿の角の兜を被っている侍の人形。

江戸時代の具足の、実物大の侍の甲冑。 この種類の甲冑は軽量で、折りたたみができるので、持ち運びが簡単です。

侍が権力を持った時、この花の名前が、侍の規則である「尚武(高貴な徳を尊ぶ)」と同じ音であったことから、菖蒲は端午の節句の祝いでより重要な花となりました。

かつては伝統的に、武士の家に男の子が生まれた時に端午の節句が祝われていました。

伝統的に、端午の節句(子供の日、こいのぼりのお祭り)の機会には、その家族の息子たちの健康と成功を祈りました。 家族全員で祝い、その精神的な絆を強めて、この日を忘れられない思い出とします。この日には、ちまき(竹の葉で包んだ甘いお餅)や柏餅(柏の葉で包んだ甘いお餅)を食べます。 日本では柏の葉は、伝統的な強さと忍耐力の象徴です。 ちまきを食べる習慣は、平安時代に始まったと言われています。

平安時代、このお祭りが一般庶民にも大変人気となり、武士の例に習い、家を紙の兜や木製の槍で飾りました。

江戸時代(17〜19世紀)には、端午の節句の伝統は大変尊重されました。 武士の家の玄関には、兜や旗が飾られました。 江戸時代の中期、人々はその庭を代わりに頭の上でなびくこいのぼり(魚のバナーと吹流し)で飾りました。 鯉(金魚)の一群の飾りは、伝統的に戦いにおける勇気の象徴であり、透明な水の流れの中を泳ぐかのように空でたなびきます。 この光景は、5月になると日本の各地で見ることができます。

鯉は、きれいな水の中でも、泥水の中でも生息することから、強い生きる意志を表します。 鯉は流れに逆らって泳ぎ、非常に勇敢な生き物と見なされています。 したがって、鯉は男の子が難関を乗り越え、肉体的にも精神的にも強く成長し、自分の行動に完全に責任がとれるようになって欲しいという願いを擬人化しているのです。 この祭りはまた、息子とともに父親に感謝する日でもあります。

こいのぼりで家を飾ることで、家族は神に息子を守ってくれるように祈ります。 鯉の上の幟竿の先には、矢車という風で回転するボールのついた車輪のようなものを付けます。 この飾りは勇気を象徴し、ボールは幸運と幸せを詰めた船を表しています。 きれいな水の中の魚のように、広い空にたなびく鯉の家族は、5月になると日本でよく見られる光景です。

今日家族は家に、ここに示すような子供大将を飾ります。 これを飾ることで、男の子が素晴らしい人間に育って欲しいという願いを表現しています。 1980年頃に作成されたこの人形は、比較的歴史が短く、新しいものです。

この祭りの機会には日本人は、すべての子供の健康と幸福を願い、その母親へ感謝します。 家族全員で祝い、その精神的な絆を強めて、この日を忘れられない思い出とします。

この展示の歴史について
この展示は、プロブディフRegional museum of history(地域歴史博物館)と、日本国際協力機構 (JICA) の協力で1999年に設立されました。 2004年の初めナカジマユウコ氏を迎えました。その我々の最初の講演の一つで、彼女が日本人形の魅力について紹介をしてくださり、遠くの国の生活をユニークに表してくれました。 素晴らしい写真に魅せられ、我々は10点以上のオリジナルの展示とともに、日本人形の展示を開設する提案を受け入れました。 ユウコさんは、彼女の地元である首都東京の北に位置する埼玉県の友人に支援を求めました。 マル武人形と埼玉県国際交流協会がこの呼びかけに応え、「ブルガリアに人形を送ろう」というコミュニティーを作ってくださいました。 輸送には、安全で無料の助成金が必要でしたが、これにはJICAのプログラム「世界の笑顔のために」プログラムの協力を得ることができました。 貨物は2005年7月に到着しました。6つのケースは総重量430Kgにもなりました。 展示で今ご覧になっているこれらの人形は、「日本人形の心」と呼ばれています。 この展示は、在ブルガリア日本大使館の財政的支援のもと、Konstantin Kambarev氏のデザインで2010年に実現しました。 私たちは、ナカジマユウコ氏、日本の友人たちの素晴らしい好意と、在ブルガリア日本大使竹田恒治氏に感謝の意を表します。

プロヴィデフ、Regional Museum of History(地域歴史博物館)
提供: ストーリー

Google Cultural Institute プレゼンテーション:
Plamen Chetelyazov - PR
ナカジマユウコ氏 - JICAボランティア
株式会社 マル武人形 - 貢献者
埼玉国際協力協会 - 貢献者
日本国際協力機構(JICA) - 貢献者
在ブルガリア日本国大使館 - 貢献者

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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