日本の組紐

立花家史料館

日本の工芸は、いろいろな技術を組み合わせてひとつの作品に仕上げる「取り合わせの美」を持つものが多く、日本人独特の美意識が表れています。

日本の組紐とは
日本の工芸は、いろいろな技術を組み合わせてひとつの作品に仕上げる「取り合わせの美」を持つものが多く、日本人独特の美意識が表れています。 例えば仏教で用いる経典のうち、装飾経といわれるものは、紙漉き、染色、書画、絹織物、金工、組紐等、多岐にわたる技術の集大成で、どの技術もそれぞれの時代の要求に合わせた研鑽の歴史があります。 組紐は素材が麻、絹、木綿などの繊維であるため劣化、損傷が激しく、完全な形で残ることは稀で、また本体の付属物という認識の低さから、重要視されずにきたこともあって、中世に遡る遺品は決して多くありません。しかし、組紐が本来の用と美を兼ね備え、絢爛たる文化の中にあった時代(平安~鎌倉時代)、当時の一級の工芸品に付けられた組紐もまた一級の紐でありました。
日本の組紐とは
かつて、組紐は甲冑、刀剣などの武具や調度品、衣裳、仏教や神道の諸道具や行事においても大量に作られ、消費されるものでした。現在その多くが失われてしまったのは残念なことですが、法隆寺や正倉院をはじめ各地の古寺、古社に伝わる宝物に付属して伝わっているわずかな組紐は数百年、あるいは千年も経っているにもかかわらず、色彩や文様が鮮やかに残っています。それらの組紐は日本人の高度な技術と美意識によって生み出された世界に誇れる工芸品なのです。
クテ打組紐技法
現在日本で組まれている組紐は、ほとんどが角台、丸台、高台、綾竹台などの組み台を用いて、江戸時代以来の技法で組まれています。しかし、古代から中世にかけて、日本を含め世界中で一般的に行われていた組紐技法が存在していました。その技法は近代以降衰退し、一部の国に残るのみでしたが、近年各国の組紐研究者によって研究が進み、一般にも知られるようになってきました。
クテ打組紐技法
その技法は、糸の端を輪にして指あるいは手に掛けて、綾を取りながら紐を組むので、「ループ操作組紐技法」とよばれていますが、私たちは文献に残る言葉から「クテ打組紐技法」と呼んでいます。 わが日本でも奈良、平安、鎌倉、室町時代、いわゆる中世の時代に主流だったのはこのクテ打組紐技法でした。これは江戸時代に入って丸台、高台などの組み台を使っての組み方が広く普及するようになっても並行して用いられ、特に甲冑の紐はその需要の高さからクテ打組紐技法で多くが組まれていました。
クテ打組紐技法
この技法は、組み糸が輪になっているため、手に掛けると上糸と下糸を一緒に持って動かすことになるので、組まれる紐は二層あるいは四層の紐として出来上がりますが、連結の仕方を変えることにより、角組や丸組の紐なども無理なく組むことが出来ます。  このように「クテ打組紐技法」あるいは「ループ操作組紐技法」は人の手指を使って紐を組む方法ですが、簡単な組織の紐でも、長い紐を組むためには、少なくとも糸を操作する組み手と、組み目を締めるへら打ち、2人の人間が必要です。また、条数の多い4連角組(中尊寺の納棺の紐など)や8連角組(御嶽神社の両面亀甲組の紐など)になると4~5人の組み手を必要とします。

人の手指を使って紐を組む方法

クテ打組紐技法
しかし、現代において、熟練した組み手を揃えて長時間の作業をするのはほぼ不可能です。そこで私は長い紐を組める台を作って、一人で組んでいます。これはクテ打組紐技法をそのまま台に移したもので、輪になった組み糸を操作する方法も全く同じです。さらにこの組み台の利点は、いつでも好きな時間に組み始めたり、途中で止めたり出来ることです。組紐の遺品の復元や、自分の創作のために一人であれこれ考えながら試すのにも適しています。
クテ打組紐技法
かつての日本で日常の仕事として盛んに行われていた「クテ打組紐技法」が廃れてしまったのは、多くの人手が必要なのと、いったん組み始めたなら終わるまで気を抜くことが出来ない辛さにあったかもしれません。このクテ打台は、本来の「クテ打組紐技法」とは言えないかもしれませんが、この技法が再び廃れることのないよう、また手軽にクテ打組紐を楽しめるよう普及させるのが私の願いです。

紙縒りを漆で固めた組手(クテ)

西岡甲房で使用している木綿の組手

長くて複雑な作業を一人で出来るようにするために作られた独自の組台によるクテ打組紐

西岡甲房の仕事
私どもの工房では主に甲冑、武具の修復や復元製作を行っておりますが、その他にも神社、寺などに残る絵巻物、経巻、調度品などに使われる組紐の復元製作も行っています。組紐は年月の経過に伴い破損、あるいは欠失することが多いのですが、当初に組まれたと思われる紐が少しでも残っていれば、それを復元模造して修理に使います。

特殊品種繭(小石丸)

青熟交配種の生糸

植物染料で染めた絹糸

厳島神社所蔵「平家納経」経巻の紐の復元製作
国宝「平家納経」は、平安時代後期(1164年)平清盛をはじめとする平家一門の人々が結縁書写して厳島神社に奉納した33巻の経典です。各巻とも、当時の工芸技術の粋をつくした、平安時代に流行した装飾経の最高峰といわれています。そして、その一端を担う、それぞれの経巻に巻かれた組紐もその意匠と組みの技術において卓越した技術と美意識を感じさせます。 この巻子紐は3種類の違う組織の紐を5本並列に連結して組まれている紐です。3~4人の組み手が、それぞれ違う組織の紐を組みつつお互いの手に糸を渡していくことで組み上げたものと思われますので、クテ打組紐技法独特の紐といえ、それを全体として美しい矢羽根文様にまとめ上げた構成力はすばらしいものです。
甲冑の組紐
甲冑に使われている組紐にはいろいろな種類があります。

まず甲冑の形を成すため小札板を上下に繋げるための組紐、これは「威糸」と呼ばれています。この威糸によって形作られた胴と袖などを連結するための紐は「緒所」と呼びます。

大鎧、胴丸、腹巻の背には総角結びの組紐が付けられ、これに袖の緒を結びつけて袖の動きを制限します。

胴を締める「繰締緒」は甲冑全体を引き立てるかのように、平安、鎌倉時代には華やかな亀甲打紐などが使われました。

威糸に使われる平打紐は、平安時代頃は紐の幅を表す畝数は2、4,8,10,12,14畝などがありバラエティーに富んでいましたが、鎌倉時代以降はほとんど8畝になります。

また「袖の緒」「水吞緒」など、緒所は中世は角組が一般的でしたが、安土桃山時代以降、丸組(唐打など)に変わっていきます。

胴の肩の部分(肩上わたがみ)と前胴を繋ぐ「高紐」などは韋の丸絎け紐でしたが、南北朝期以降、組紐になり、室町時代末まで源氏打の高紐と亀甲打の耳糸、繰締緒が常に一緒に使われています。時代の好みが顕著に表れているようで、またこの意匠の紐の根強い人気を感じます。

「兜の緒」は組紐から麻や絹布の絎け紐に、「繰締緒」は戦国時代から江戸時代に無地の四つ組紐に変わっていきます。

甲冑の組紐
組紐は常に甲冑としての形を成すための重要な役割を担っており、これらの組紐は、それぞれの時代の好みも反映された色と柄で組まれてきました。甲冑の注文書などに細かく組紐の色柄の指定がされているように、甲冑を身に着ける武将にとっても思い入れの深さを感じます。甲冑の名称に必ず組紐の色目が付けられるのは、単に他の甲冑との区別だけではないのでしょう。
By: 立花家史料館
提供: ストーリー

参考文献  『日本組紐古技法の研究』木下雅子著 京都書院 1994年
(Study of archaic braiding techniques in Japan)
      『日本の美術』№308「組紐」 至文堂 
      『ひも』道明新兵衛著 学生社 昭和38年
      『止戈枢要』
      『糸組図』

西岡甲房

公益財団法人立花財団
立花家史料館

展示製作
西岡千鶴 (西岡甲房)
植野かおり (立花家史料館)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
Google で翻訳
ホーム
トピック
現在地周辺
プロフィール