漆工の美
蒔絵(まきえ)の調度は、貴重な漆と金銀の粉をふんだんに使った、たいへん贅沢な工芸品です。古代・中世に貴族の身の回りを飾ったり、神仏に捧げられたりしたもののうち、ほんの一部が今日に伝わっています。また、桃山時代には、スペインやポルトガルの船で来日したカトリック宣教師や商人たちが、日本の漆器を気に入り、宗教用具や貿易用の商品を購入しました。格調高い調度品の数々を、どうぞじっくりとご鑑賞ください。

松椿蒔絵手箱(阿須賀神社伝来古神宝類のうち)(15世紀)

神道では、神の住居である社殿やその調度を一新することが神の生命力を盛りかえすことになると考えられている。周期的に遷宮(せんぐう)をおこない神宝(しんぽう)を新調するのは、そのためである。

明徳元年(1390)の奥書をもつ「熊野山新宮神宝目録」(江戸時代の写本、熊野速玉大社蔵)の記述から、本品は天皇、上皇、室町将軍(足利義満(あしかがよしみつ))、諸国の守護らによって熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)(和歌山県)に奉納された手箱13合のうちの1合であることが知られる。熊野速玉大社の摂社(せっしゃ)であった阿須賀神社に古神宝(こしんぽう)として伝わり、近代になってから国有となった。一連の調度のうち、京都国立博物館はほかにも冠箱(かんむりばこ)、御衣箱(おんぞばこ)、笏箱(しゃくばこ)、插鞋箱(そうかいばこ)(くつを入れる箱)、衣架(いか)(衣をかけておく道具)などの蒔絵調度を所蔵する。

神々のためにつくられた調度だが、中世貴族の化粧道具を反映する内容と考えていいだろう。
意匠は、手箱、櫛箱、内容品ともに土坡(どは)に生える松と椿で統一する。常緑樹は、生命力の象徴として奉納品の意匠に好んで用いられた。手箱の外面には、詰梨地(つめなしじ)に金高蒔絵(きんたかまきえ)、研出蒔絵(とぎだしまきえ)、青金金貝(あおきんかながい)、銀鋲(ぎんびょう)といった高度な技法を駆使しており、豪華このうえない化粧道具となっている。

塩山蒔絵硯箱(18世紀)

日本では中国に倣って硯を単体で扱うこともあるが、多くの場合は箱に仕組み、水滴、墨、筆、刀子(とうす)、錐などとともに収納した。これは、日本の居住空間の基礎とされる平安時代の寝殿作りにおいて、ひとつの部屋で食事、読書、執筆、身繕いなど異なる活動が行われたため、固定的な家具ではなく、持ち運びのできる各種の箱が発達したことに由来する。硯箱は日本の文房具の基本である。

この硯箱の意匠は磯に遊ぶ千鳥であるが、単なる風景画ではない。絵の中に「志本能山散新亭」「君加見代遠盤」「八千世登曽」の文字を散らし、『古今和歌集』の「しほの山さしでのいそにすむ千鳥、きみがみ世をばやちよとぞなく」の歌を表している。中世までの日本の蒔絵には意味を込められていない文様や風景はないといってよく、文字がなかったとしても、教養ある受容者たちはテーマを理解した。

蒔絵技法は梨地(なしじ)、沃懸地(いかけじ)、金平蒔絵(きんひらまきえ)、金研出蒔絵(きんとぎだしまきえ)、金錆上高蒔絵(きんさびあげたかまきえ)、銀金貝(ぎんかながい)、金銀切金(きんぎんきりかね)、付描(つけがき)、描割(かきわり)、銀彫金片(ぎんちょうきんへん)の象嵌(ぞうがん)など多彩かつ複雑を極め、室町時代の漆芸の代表的作例のひとつとされている。
なお、身の見込み部の波文、硯、筆架(ひっか)などは江戸時代の後補と考えられている。
土屋子爵家旧蔵。

槙鹿蒔絵螺鈿料紙・硯箱(16~17世紀)

梨地(なしじ)、平蒔絵(ひらまきえ)、螺鈿(らでん)、錫板の象嵌(ぞうがん)を駆使して、硯箱には水辺に憩う雌雄の鹿を、料紙箱には土坡(どは)に伸びる槙の木と鹿を配している。いずれのモチーフも著しく意匠化され、異なる材質の効果的な組み合わせにより、くっきりとした表情を見せている。

また、図は蓋表から身の側面を経て底面にまで続き、箱の表面全体で一画面を構成する。硯箱の蓋裏と見込みの意匠は槙の木のみであるが、料紙箱の蓋裏では、土坡に槙の木が伸び、その枝を透かして銀板による巨大な満月が見え、画面全体に錫板製の文字で『古今和歌集』所載の「秋の月山べさやかに照らせるはおつるもみぢのかずを見よとか」が散らし書きにされている。

作者、永田友治(ながたゆうじ)は正徳、享保の頃(18世紀前半)に活躍したことと、尾形光琳(おがたこうりん)の作風を慕って「青々子」と号したことが知られるのみで詳しいことはわかっていない。硯箱、料紙箱ともに、底部に「青々子」銘と「方祝」印がある。同じ銘や印をもつ作品はほかにも知られるが、本作品のような大作はほとんどなく、この一具が友治の代表作と考えられている。

IHS椿蒔絵螺鈿聖餅箱(16~17世紀)

聖餅(せいへい)を入れる容器。聖餅はイエスの身体を象徴するパンのことで、カトリック教会のミサで神父が信者に分け与える。本品は懸子(かけご)を伴い、黒漆地に金平蒔絵(きんひらまきえ)と螺鈿(らでん)を用いて蓋表にローマ字による紋章を描き、側面には絵梨地(えなしじ)もまじえて椿をあらわす。

IHSはイエスの名を表す記号であり、これを光輪(茨の冠とする説も)で囲み、Hの文字に十字架を立て、三本の釘を刺したハートを添えるのは、天文18年(1549)に来日したフランシスコ・ザビエルの属したイエズス会の紋章である。蓋の蒔絵は残念ながら損傷が著しく、特に蓋表はほとんど後世の補筆と思われる。

しかし、南蛮漆器の中でも礼拝用の図像を納める聖龕や聖書を乗せる見台は裕福な信者のために数多くつくられたが、神父しか用いない聖餅箱は制作数に限りがあったのか、世界的にみても十数点ほどしか知られておらず、貴重である。

IHS花入籠目文蒔絵螺鈿書見台(16~17世紀)

キリスト教の聖書をのせる折りたたみ式の見台。イエズス会の紋章をあしらっている。IHS紋の蒔絵の見台はいくつか知られ、紋の回りの文様が異なる。

本品は、螺鈿(らでん)と泥絵(でいえ)のような細かな金粉の平蒔絵(ひらまきえ)で、市松文の縁取りのなかに籠目を作り、輪違い状の装飾や花のような文様を足した幾何学文である。受け台の裏には絵梨地(えなしじ)もまじえて橘を描き、背面は「南蛮唐草」で縁取ったなかに背板では蔦唐草、脚部では朝顔をすきまなく描いている。

一枚板から蝶番(ちょうつがい)を彫り出す構造は日本の木工の伝統には見られず、イスラム圏のコーランの見台の構造を模したものとされる。同じ形、同じ構造をしながらインドの銀細工で覆われた見台が存在することから、本品は、コーランの見台を目にした人々が日本に来て蒔絵や螺鈿の品の制作を指示したものと考えられる。大航海時代のアジアの海の交流史を如実に伝える品である。

花鳥蒔絵螺鈿聖龕(三位一体像)(16~17世紀)

16世紀半ば以降、ヨーロッパの宣教師や商人が続々と来日した。「南蛮人(なんばんじん)」と呼ばれた彼らは、キリスト教の祭礼具や西洋式の家具に蒔絵を施すよう注文し、本国へ持ち帰ったり他国へ輸出したりした。「南蛮漆器(なんばんしっき)」と呼ばれる輸出漆器である。

本品はキリスト教の礼拝画を納める壁掛式の龕(がん)。通常、この種の聖龕には取り外し可能な額絵を納めるが、本品では背板の漆面にじかに油絵を描く。父と子と聖霊は単一であるという三位一体説の教義を示すために、同じ顔の3人の男性を描き、それぞれの胸に、父なる神をあらわす太陽、子イエスを示す子羊、聖霊を示す鳩を添える。

三位を年齢も相貌も同じ3人の人間で示す図は、ヨーロッパのカトリック界では異端視され、ほとんど描かれなかったが、新大陸のヌエバ・エスパーニャ副王領(メキシコ)では、その視覚的な分かりやすさが認められ17世紀以降大量に描かれたという。メキシコに本図とよく似た図像が伝わることから、本品の油彩画は17世紀以降のメキシコで描かれたと推定される。

聖龕としてはもっともシンプルな長方形で、上部の破風などもない。黒漆地に金銀の平蒔絵(ひらまきえ)、絵梨地(えなしじ)、螺鈿(らでん)で、扉表には萩(はぎ)と椿に尾長鳥を、扉裏には葡萄唐草を大柄に描く。南蛮漆器に多い螺鈿の幾何学文は一切用いていない。

シンプルな形と大柄の蒔絵は、フェザーモザイク(鳥の羽根を用いたメキシコ原住民の貼絵)による聖ステファヌス像を納めた聖龕(東京国立博物館蔵)や、プエルトリコで発見された聖龕(太平洋セメント蔵)などと共通する。スペイン船に積まれ、フィリピン経由でメキシコへ渡ったと推定できる稀有な例のひとつである。

花鳥蒔絵螺鈿角徳利及び櫃のうち徳利(17世紀)

西洋人の注文に応じて作られた「南蛮漆器(なんばんしっき)」。角徳利は他にも数本知られるが、6本揃いは本品のみ。保存状態がたいへん良いのは専用の櫃に収められて伝わったからだが、櫃の外面はヨーロッパで大幅に修復されている。櫃の内部は針葉樹の板で6つに仕切られており、仕切り板には打ち雲文様の和紙が貼られ、徳利を出し入れする際に蒔絵がこすれないよう工夫されている。徳利の各面には、黒漆地に金平蒔絵(きんひらまきえ)で南蛮唐草の縁取りがつくられ、そのなかに絵梨地(えなしじ)と螺鈿(らでん)も併用してさまざまな花鳥図がすきまなく描かれている。

貿易文書の研究者によれば、平戸のイギリス商館長の日記には、1618年に「複数の瓶を入れた箱1つ」を荷造りした記録が残り、オランダ東インド会社の記録では、瓶をいれる仕切り箱はオランダでは売れないので不要との指示が1634年にバタヴィア政庁から平戸商館へ出され、その一方で3年後の1637年にはインドのコロマンデル用に30~40個の発注が行われている。17世紀初めのインドで人気のある製品だったようだ。

徳利6本のうち1本は蓋がなく、1本は蓋があかない。蓋は銅製ねじ式。ねじを切る技術は、ポルトガル人がもたらした小銃の尾栓(びせん)から学びとられるまで日本では知られなかった。本品のねじは稚拙とはいえ、当時の最先端技術が盛り込まれているのである。

花鳥蒔絵螺鈿角徳利及び櫃のうち徳利(17世紀)

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