水口細工
水口細工とは、東海道水口宿を中心に昭和40年代まで製造されていた細工物の総称です。これらは、山野に自生するクズ(葛)などの蔓を加工・精製したものを織ってつくられていました。一説によれば天文15年(1546)に京都で戦死した武士の家族が水口に移住し、山野に自生する葛藤を採って細工物を作ったという伝承が残されています。江戸時代には水口藩の藩士の内職として知られていました。
葛籠
葛籠は「衣服を入れる、アオツヅラの蔓で編んだかご(広辞苑)」とされています。昔話の舌切雀には軽い葛籠と重い葛籠を選ばせるくだりがあるように、葛籠はかつて日用必需品であったのです。水口宿における葛籠の初出は慶長7年(1602)作成の検地帳の「つつら町」の記載です。その時点ですでに葛籠細工の生産が行われていた上、水口宿を代表とする主要な産物の一つであった可能性があります。
海を渡った水口細工
精巧な細工物である水口細工は紀行文に書き留められるだけでなく、江戸参府の途上であったオランダ商館員の心を掴みます。商館長であったブロムホフは文政5年(1822)に水口を通った際に水口細工を購入しました。またシーボルトは文政9年(1826)に「4時ごろ水口(Minakuzu)に着く。城のあるこぎれいな町であり、ここで昼食をとった。ここではツツランカツラ(Ttsutsuran Katsura)で上品な小さい籠を編んでいる。(斎藤信訳)」と書き残しています。医者であり生物学も学んでいるシーボルトは聞き取りや観察を詳細に行っていることがわかります。
葛籠笠
水口細工は『守貞謾稿』という江戸時代後期の風俗、事物を説明した百科事典にも多数掲載されています。特に葛籠笠については17世紀中葉に女性用の笠が流行し、その後停滞しますが、19世紀中頃の嘉永年間には男性用の葛籠笠が大流行したと記されています。表は黒漆に定紋、裏は朱漆を塗った陣笠が登城の時に軽いと重宝され、一時は注文が殺到して水口から江戸へ輸出したとの逸話が残っています。水口宿の名物の域を超え、水口の主要輸出品であった可能性があるのです。
ウィーン万博に出品
明治6年(1873)にオーストリアで開催されたウィーン万国博覧会への参加準備の一環として、国が全国の府県に命じた物産調査が現存しています。「近江国甲賀郡水口村出産藤細工明細書」は『滋賀県管下近江国六郡物産図説』と『細工物略説』に所収された物産に関する調査報告がそれです。ウィーン万博は明治政府になって初めて正式に参加した博覧会であり、西洋の模倣でしかない機械製品ではなく、国を挙げて日本的で精巧な美術工芸品を中心に出展しました。博覧会の事務局は水口細工を優良工芸品に認定。博覧会では有巧賞牌を授与され評判を呼びました。
神宮や皇室に献上
伊勢の神宮御神宝として、水口からは昭和48年(1973)の第60回式年遷宮まで献納していました。式年遷宮では神殿だけでなく、御装束・神宝も全て新しくするのです。水口からは、矢を入れる白葛御靱(しらくずのおんゆぎ)、御胡籙(おんやなぐい)の他、白葛筥(しらくずのはこ)などを献納していました。また幕末以降、皇室にも度々献上しています。昭和天皇大嘗祭に先立ち注連縄を張り精進潔斎し、白装束で編む様子を撮った写真が残されています。
水口細工復興研究会による復活
後継者がなく1970年代に水口細工は途絶えてしまい、幻となった水口細工。平成12年(2000)に水口中央公民館で開かれた練心教養大学で水口細工が取り上げられます。それを契機に地域の有志が復興を決意し、水口細工復興研究会が結成されました。材料がわからないところからスタートし、材料の加工法を確立するまでに10年ほどかかりました。細工技法についても類似の細工物を参考にしながら、試行錯誤が続きました。
葛の加工
緯糸は6月中旬に山野で自生する葛を採取します。葉を落として熱湯で1時間茹でた後、外皮を剥ぎ、中皮を割って芯を取り除きます。繊維を米のぬか水で三日三晩浸して漂白し、陰干し。その後、乾燥した葛を水に浸けて湿らせ、小刀でフシや汚れを削り取り、厚さを均等に整えます。
アオツヅラフジの加工
経糸のアオツヅラフジは冬に採取します。山野に自生して木に巻きつかず、地面に這っているものを選別。乾燥後、50cmほどの長さにまとめます。
熱湯に浸け、柔らかくなった鬼皮を小刀で剥ぎ取ります。
箱をつくる
組地筬という板に経糸となるアオツヅラフジを挟んで固定し、緯糸の葛を織り込みます。箱を作る工程は、まず底、そして側面の立ち上げを編みます。そして、もう一方の側面には、経糸になる「タボ」をつけます。タボはアオツヅラフジの先端の表面を薄く削ぎ、底の経糸に通して削いだ部分を接着。立ち上がり部はシュロを編み込みます。先が細長いアイロン、コテで湿らせながら側面を立ち上げます。再び四隅をシュロで綴じて組み立て、箱にマダケの縁を付けてシュロで巻いて完成です。
笠をつくる
先に紹介した「近江国甲賀郡水口村出産藤細工明細書」に描かれた「藤笠製造の図」によると、笠の内側には円盤状の笠組板を重ねて内型とし、天頂部から重り石をおろして固定しているように見受けられます。天頂部から編み始め、下へ行くにつれ、経糸のアオツヅラフジを足して編み進めます。江戸時代に大流行した葛籠笠は洗練された技術が背景にありました。
復興の先に
一度途絶えた水口細工。現在なおその復興に取り組む途上にあります。山野に自生する植物を加工し、材料の幅を揃え、細心の注意をして編み上げた作品は、ようやく先人の作品をしのぶ水準に届くようになりました。

材料の採取とその加工には労力と熟練した技術が必要です。

これらの技術の継承は喫緊の課題です。

京都女子大学 生活デザイン研究所
提供: ストーリー

【取材協力】
・水口細工復興研究会
甲賀市水口歴史民俗資料館

【監修・テキスト】
・永井晃子(甲賀市水口歴史民俗資料館

【画像提供】
国立国会図書館

【撮影】
・出水伯明

【英語サイト翻訳】
・エディー・チャン

【サイト編集・制作】
・升田真帆(京都女子大学 国文学科
・植山笑子(京都女子大学 生活造形学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也(京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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