ショーにみるファッションの軌跡:文化服装学院

文化服装学院

ショーによるファッション教育

文化服装学院 文化祭ファッションショー2015

毎年、3日間の開催期間に約2万人の来場者がある文化服装学院の文化祭ファッションショー。国内外のアパレルメーカー、生地産地、メーカーから生地や副資材の提供を受け、学生たちがテーマの決定、デザイン、製作、ショーの演出まで、全てを手掛けている。ファッションショーに関わる学生は約1000人。100体以上の作品を作り上げている。

ファッションショーによる教育のはじまり
1951年、文化服装学院 文化祭コスチュームショーに始まる。木造建築が多かった当時、初のコンクリートの大講堂が完成。戦後第1回目に行われたこのショーは、全国の連鎖校を巡回し、日本中に服装理解を深めるための重要な役割を果たしました。

バザー、展示、各種催し物が行われる中、特にコスチュームショーは画期的なイベントとして好評を博します。最新の舞台設備と照明機材などを駆使して、今までにない演出のチャンスが到来しました。

学び舎で見る 海外デザイナーのショー
ファッションショーによる国際交流を早く取り入れ、昭和28年(1953年)、パリからクリスチャン・ディオール氏御一行を招聘。学院の大講堂のほか四大都市でファッションショーを開催しました。

昭和29年(1954年)にはアメリカからハワード・グリア氏を招き、全国6カ所でショーを開催。昭和33年(1958年)にはフランスの新進デザイナー、ピエール・カルダン氏を招き、学院講堂でのショーとカルダン氏による立体裁断を公開する技術講習会を開催。
日本の服飾界に美のカルチャーショックを与えることになりました。学生たちは客観的・主体的に服の良し悪しを理解していったのです。

卒業生たちの凱旋ショー
昭和54年(1979年)、遠藤記念館落成のこけら落としとして、「世界にはばたく10人のデザイナー」と銘打ったファッションショーが盛大に開催されました。

髙田賢三、松田光弘、コシノジュンコ、コシノヒロコ、金子 功など、学生たちの憧れの的である世界で活躍する先輩たちが、華やかな舞台を繰り広げました。平成15年(2003年)には創立80周年を記念して、80名の卒業生によるショー「80人のクリエイター」を披露しました。

Art × Fashion、 Culture × Fashion
21世紀に入ると、クリエイターや企業、海外のアート・ファッション大学と、さまざまなコラボレーション企画が実施されてきました。平成16年(2004年)の「クサマトリックス:草間彌生」展では、アーティストとの一大コラボレーション「クサマヤヨイの前衛ファッションショー」を実現。草間世界にインスパイアされた学生たちのデザインが草間氏自身に選択され、トワルチェック、素材や色の打ち合わせ、コーディネートチェックなど幾度もの打ち合わせを経て衣装を製作した上、六本木の街をジャックして大喝采を浴びました。

平成22年(2010年)には、奈良市・奈良県の支援を受け、平城遷都1300年祭を記念したファッションショーを開催。衣裳・アクセサリーを合わせ、約120体の作品を制作し披露ました。

ジュネーブ・デザイン大学、イスラエルのシェンカー大学とのコラボレーションショー他、海外の学生たちとのファッションを通じた文化交流も多岐に及んでいます。

文化祭のショーの今 そして未来へ
昭和52年(1977年)より文化祭ショーのあり方も大きく変わり、学生たちが中心となってデザイン、舞台、照明、演出ほか、運営のすべてを手がけるようになりました。

昭和59年(1984年)からは、旭化成、三菱レイヨン、東レなど日本を代表するテキスタイル会社ほか、海外のテキスタイル産地の後援を受け、毎年約2万人が来場する業界でも注目のショーとして成長しました。国際色も豊かです。

平成20年
(2008年)のショーでは、オーストリア造幣局から貸し出された「ウィーン金貨」がちりばめられた黄金の衣装を披露。

平成27年(2015年)には「ASEAN」をテーマにした企画が組まれ、担当の学生がアセアン加盟国を訪問し、それぞれの国が誇る伝統的な素材を調達して衣装を製作しました。

これからもさまざまな可能性を実現しながら、学生たちの個性が花開く場としてショーは発展し続けるでしょう。

提供: 全展示アイテム
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