経糸と緯糸が織りなす生活に寄り添うデザイン

「絣」とは
「絣」とは織物の技法のひとつで、絣糸を部分的に括り(くくり)、染めた後に織り、文様をつくる布のことで経糸を括る経絣、緯糸を括る緯絣があります。両方括るものは経緯絣と呼ばれます。絣の語源は模様がかすれた(掠れた)ように見えることに由来しているとされています。
歴史
絣はインドが発祥の地と考えられ、沖縄には東南アジアの国々との交易により14-15世紀頃に伝わったといわれています。琉球王府時代には一般人が着用できる着物の柄は無地か縞に限定されていましたが明治時代以後は庶民も絣を着用できるようになりました。南風原で織物生産が盛んになったのは大正から昭和初期のころで、1930(昭和5)年に南風原織物組合が組織され大規模な組合工場が操業を始めます。また民間の工場も設立され県内最大の絣の産地となりました。
第二次世界大戦で南風原町も壊滅的な被害を受けますが人々の努力により復興を果たします。1972(昭和47)年の本土復帰以降は生産量も上がり1950(昭和50)年に琉球絣事業協同組合が設立されます。そして1980(昭和55)年には琉球かすり会館が建設され現在に至るまで琉球絣の普及、後継者育成事業に取り組んでいます。
意匠設計
先ずは織物の図柄をデザインすることから製作は始まります。沖縄の絣には動物、植物、生活道具、自然などをモチーフにした独自の模様が多く特長のひとつになっています。琉球王府時代の「御絵図帳(みずえちょう)」にある約600種類におよぶ伝統的な図柄などの他、各工房の職人独自の意匠など多岐にわたります。
定規
糸を括る箇所の目安となる経絣の長さと間隔に合わせて印を付けたものが絣定規です。各工房が意匠にあわせた定規を自作します。
絣括り
滑りにくくしっかり結べる木綿糸を用いてひとつひとつ手括りしていきます。括った箇所は染色されません。この白く残った部分が絣模様になります。
染色
植物染料としてはエー(琉球藍)、フクギ(福木)、テカチ(車輪梅)などが用いられます。
フクギ(福木)の樹皮
筬通し
「筬(おさ)」とは長方形の枠に細い板を櫛の歯状に並べた織り機の道具のことで、織る過程で織物の幅を整える役割も担っています。筬通しとは絣糸を図案に忠実に通していく作業です。

筬通し

「筬(おさ)」とは長方形の枠に細い板を櫛の歯状に並べた織り機の道具のことで、織る過程で織物の幅を整える役割も担っています。

筬通しとは絣糸を図案に忠実に通していく作業です。

綜絖通し
織る際に経糸を上下させる道具を「綜絖 (そうこう)」といいます。嘗ては南風原独自の技術で、既製品を使わず経糸の一本一本に糸を掛けて綜絖を作り出す「糸綜絖」が使われていましたが、現在はより扱い易い金属製の「金綜絖」が主流になりました。
織り付け、柄出し
経糸に綜絖を掛けるといよいよ織機への取り付けです。絣の配列が図案通りになるように固定します。これで製織の準備は完了です。
織る
伝統的な木製の高機で踏み木を踏んで織ります。通常1日に1~2mほど織り進みます。シャーラ、トントンとリズミカルな調子の機音は今も昔も変わりません。
古い琉球絣
現在では絹製品が大半を占める琉球絣ですが、大正から昭和初期の頃は木綿製品が主流でした。トゥイグワー(鳥)、ヒキサギー(引き下げ)、カー・ヌー・チィカー(井戸枠)、マユビチー(眉引)など伝統的な図案が組み合わせられています。
現代の琉球絣
大城廣四郎織物工房当主の大城一夫さんが2012年に織られた作品です。力強くモダンな図案は今後の琉球絣の展開を示唆しているようです。
琉球かすり会館
琉球絣の主産地である南風原町に在る「琉球かすり会館」では琉球絣事業協同組合による琉球絣、南風原花織製品の展示販売、後継者育成指導が行われています。また作業工程の見学や、予約により機織り体験なども可能で幅広く学ぶことができます。町内の絣工房を巡る散策路「かすりの道」沿いにあります。
京都女子大学 生活デザイン研究所
提供: ストーリー

【協力】
・大城廣四郎織物工房
琉球かすり会館

【資料提供】
南風原文化センター
・山田實

【テキスト・監修】
四釜尚人

【英語サイト翻訳】
・黒崎 美曜・ベーテ

【翻訳監修】
・メリッサ・リンネ (京都国立博物館

【写真】
・村林千賀子
・山田實

【サイト編集・制作】
・澤井優莉(京都女子大学 音楽教育学専攻
・久保薫(京都女子大学 生活造形学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也 (京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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