フェルメールが用いた「画中画」という表現

Rijksmuseum

『新たなアプローチ』グレゴール JM ウェーバー著

恋文, ヨハネス・フェルメール, Around 1669, コレクション所蔵: Rijksmuseum
画中画
オランダのブルジョア階級の家には絵画が飾られていたため、「画中画」はヨハネス フェルメールやその同時代の画家たちの室内絵画に多く見られますが、こうした画中画の主題に意味を持たせるようなことはほとんどありませんでした。しかし、フェルメールの絵画には、美術史への図像的なアプローチに対立するような作品にさえ、前景の日常的なシーンと絵画の主題との間には意識的なつながりが認められます。
恋文, ヨハネス・フェルメール, Around 1669, コレクション所蔵: Rijksmuseum

このため、これらの「二次的な」主題は、フェルメールの構図をまとめて解釈しようとする人々によって強く支持されてきました。しかし、この画中画をどのように特徴づけるべきか、それを解釈するためにどのような方法を用いるべきかという疑問には、議論の余地が残っています。第一に、既存の絵画の引用であるのか、または別の形で表現したものであるのか、あるいはまったくの創作なのかを考慮しなければなりません。答えは簡単です。つまり、あらゆる可能性があるのです。

恋文, ヨハネス・フェルメール, Around 1669, コレクション所蔵: Rijksmuseum

フェルメールの場合、同じ絵をさまざまな形や大きさで描いていることがわかっています。このような例は、背景の壁全体を覆い尽くすような広大な風景として描かれた、また一方で人物のみを描くという小さな構図で描かれた『モーセの発見』(所在不明)などに見られます。また、フェルメールがキューピッドの姿が描かれた絵画を、サイズや形を変化させて繰り返し使用していることもよく知られています。

A Young Woman seated at a Virginal, Johannes Vermeer, コレクション所蔵: The National Gallery, London

『ヴァージナルの前に座る女』
ナショナル ギャラリー(ロンドン)

『ヴァージナルの前に座る女』は、実際の構図よりも凝縮して描かれています。こうした形式をフェルメールが取り入れた例としては、同じ絵画の別の箇所に描かれた絵画の引用にもさらに強く表れています。女性が座っている楽器の蓋に描かれているのはフェルメールと同時代のデルフトの画家ピーテル ファン アッシュの絵画を元にした風景画ですが、右上の木の上端を除いて、フェルメールはこの絵をとても忠実に再現しています。ファン アッシュの描いた農民やその仲間、優雅な狩人があいまいに描かれ、縞模様になってしまっていることに気付くのは、フェルメールが引用した元の絵を知っている人だけです。フェルメールも同じように描くつもりはなかったのでしょう。

ギターを弾く女, ヨハネス・フェルメール, c.1672, 出典: KENWOOD

『ギターを弾く女』
ケンウッド ハウス(ロンドン)

『ギターを弾く女』の中にある絵では、フェルメールは元々あった奥行きを表現する小路を木々の間から消し、その他のモチーフの距離を縮めることで、横長の絵を縦長にし、登場人物などはすべて消しています。その結果、フェルメールの絵画の中に現れるこの 2 つの風景画は、1 つの絵画から派生したものであることが長い間見逃されていました。

A Young Woman standing at a Virginal, Johannes Vermeer, about 1670-2, コレクション所蔵: The National Gallery, London

『ヴァージナルの前に立つ女』
ナショナル ギャラリー(ロンドン)

フェルメールの『ヴァージナルの前に立つ女』に登場する 2 つの風景画も、同じ絵画を元に描かれています。女性の前にある楽器の大きな蓋に描かれた絵画は、現存するデルフトの画家ピーター アンソニス ファン フルーネヴェーヘンの絵に酷似しており、ここではフェルメールが他の画家の作品を参考にした可能性があります。

しかしながら、これまでに述べたいずれの例においても、フェルメールは引用した絵画の主題を変えていません。また、彼が独自の構図に変更するための引用元として、既存の作品のみを参照していたということも証明されていません。

A Young Woman standing at a Virginal, Johannes Vermeer, about 1670-2, コレクション所蔵: The National Gallery, London

近年は、風俗画の解釈の鍵となる画中画の意味を判断する 1 つの手段として、「寓意画の領域において対応する表現を参照する」という方法が取られています。エディ デ ヨングは 1967 年にオランダ風俗画の解釈に関する先駆的な著書『Zinne- enminnebeelden』を発表しましたが、あらゆるケースにおいて画中画が果たす役割に対する寓意画的な構造という仮説を導き出せてはいません。「問題となる表現が既存の寓意画の中にある場合」に、寓意画集の痕跡を鍵と見なしただけでした。デ ヨングは、キューピッドの絵が描かれたフェルメールの『ヴァージナルの前に立つ女』を例に、このキューピッドをオットー ファン フェーンが描いた愛の象徴と結びつけています(「恋人はただ 1 つの愛に集中すべきである」というメッセージとして)。しかしながら、フェルメールのキューピッドには、この寓意画にある重要な詳細が欠けています。放棄され地面に散らばった数字、そして彼が掲げる紙に書かれた数字「1」が見当たらないのです。

この「画中画」は、愛のメッセンジャーとしてのキューピッドのイメージに過ぎません。弓をステッキのように使って威勢よく足を踏み出し、勝利の確信を持って、(おそらく恋文である)手紙を誇示する姿で描かれています。こうして愛のテーマが与えられ、音楽の演奏やその演奏者の絵の外に向けた視線も愛のテーマと結びつけて考えらることができます。そして、背景に描かれたキューピッドの小さな姿は、その絵が、一般化された恋愛のテーマを描写したものであること示し、キューピッドの図柄やその身ぶりと表情において、視覚的かつ概念的にそのことを強調するために描いたのだと言えるでしょう。

恋文, ヨハネス・フェルメール, Around 1669, コレクション所蔵: Rijksmuseum

『恋文』
アムステルダム国立美術館(ライクスムゼーウム)

寓意画を参照することで、エディ デ ヨングは、海の絵が壁に飾られた部屋で手紙を読む女性を描いた絵についての説明を可能にしました。こうした「海」と「恋文」という組み合わせは、フェルメールの『恋文』の中でも見られます。この絵では、デ ヨングは寓意画の図柄と文章の組み合わせでは決め手となる証拠を見つけられませんでしたが、その図柄を説明する文章の中で、特に「愛」と「海」、そして「恋人」と「船」という比較において見出したのです。

合奏, Jan Vermeer, About 1665, コレクション所蔵: Isabella Stewart Gardner Museum

『合奏』
イザベラ スチュワート ガードナー博物館(ボストン)

フェルメールの『合奏』では、2 人の女性が 1 人の男性と音楽を奏でており、歌っている女性は手でリズムを取っています。彼女のすぐ後ろにはバビューレンの『取り持ち女』という絵画が飾られており、この絵には、同様に 2 人の女性と 1 人の男性、つまり娼婦と客、そして取り持ち女が描かれています。この 2 組の関係性については、研究者たちが 2 つの異なる解釈を示しています。つまり、バビューレンの絵は場面に「合致する」という見方と、「対照的である」という両方の見方があるのです。さらにリズムを取っている女性は、彼女自身が取り持ち女であり、同時に節制の人格化であると解釈する試みもあります。フェルメールは他の作品と同様ですが、ここでは、さらに控えめな表現をしています。比較の対象を提供しておきながら、これらを立証するものはないのです。

音楽の稽古, ヨハネス・フェルメール, c.1662 - 1665, コレクション所蔵: Royal Collection Trust, UK

『音楽の稽古』
ロイヤル コレクション トラスト(ロンドン)

フェルメールの『音楽の稽古』には独自の画中画として「ローマの慈愛」が描かれており、この絵と前景の場面の関係性が、ヴァージナルの上の楽譜に書かれた慰安と回復に関する道徳的逸話として、アーサー ウィーロックにより指摘されています。

天秤を持つ女, ヨハネス・フェルメール, 1664 - c. 1664, コレクション所蔵: National Gallery of Art, Washington DC

『天秤を持つ女』
ナショナル ギャラリー(ワシントン)

フェルメールの作品で最も完成度の高い「画中画」は、『天秤を持つ女』の中に描かれているものとして間違いないでしょう。フェルメールがモデルとして描いたのは、人格化されたヴァニタス(人生の虚しさを示す寓意)だと考える人が多いと思われます。真珠や鏡などの地上の豊かさの象徴に囲まれたこのヴァニタスの姿が、『最後の審判』と結びつけられています。そこでは大天使ミカエルの前に復活者がひざまずき、精神的な価値を象徴する物(聖書、ロザリオ)と地上の豊かさ(王冠、笏)が天秤にかけられています。フェルメールは『最後の審判』の前に天秤を持つ女性を配置し、魂を天秤にかける者、つまり大天使ミカエルがいるべき場所に描いています。フェルメールはここでもまた、天秤にかけるという行為を絵に重ねることで、世俗的な豊かさと精神的な価値、また無常と不朽を明確な比較の対照として表現しています。彼はエティエンヌ ジョゼフ テオフィル トレ ビュルガーの言葉を用いて、我々にこう語りかけています。「今はあなたが価値のある石や宝石を量っていても、いつかあなた自身が天秤にかけられ裁かれる日が来るでしょう。」

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