1750年~1950年

インドを象徴するドレープ、サリーの 15 のバリエーション

Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya (CSMVS)

チャトラパティ シヴァージー マハーラージ ヴァツ サングラハラヤ博物館(CSMVS)のコレクションに基づくインドの織物の物語

結婚、家庭、そしてサリー
織物は生殖の営みに似ています。ひとつひとつの縫い目や緯糸 1 筋ごとに大きくなっていく布地が成長を象徴し、針と糸が母から娘への世代の移り変わりを物語っています。

長い間、女性はサリーをさまざまなスタイルで身に纏ってきました。着付けのスタイルには職業上の要件だけではなく、地域的なバリエーションもあります。最もポピュラーなのは、身体の前に幾重も折り目を付け、サリーの端を肩から垂らすスタイルです。

着付けのスタイル以外にも、サリーにはさまざまな織り方のバリエーションがあります。この肖像画の女性が着ているのは、チャンドラカラ(Chandrakala)サリーです。

ヒンズー教のグリハスタ(grihastha)または家住期と呼ばれる期間を迎えた人は、一族だけではなく地域社会を代表し、人生を祝う儀式や祭礼に参加することによって社会的責任を果たします。このようなお祝いで、織物は重要な役割を占めています。結婚はグリハスタの期間を迎えた人にとって重要な出来事であり、すべての宗教、地域、コミュニティごとに、結婚式に関連する独自の織物があります。インドの婚礼はとてもカラフルですが、なかでも赤と黄色は重要な色で、赤は希望と新たな始まりを、黄色は幸福と知識を象徴しています。花嫁は懐かしい思い出とともに少女時代に別れを告げ、両親や大切な人々の祝福と愛に包まれるかのように、先祖から代々伝わる織物を身に纏います。このように、伝統的な織物は愛と思いやりの象徴として世代から世代に受け継がれていきます。

パイタニ(Paithani)サリー

マハーラーシュトラの人々の婚礼に欠かせないパイタニサリーは、マハーラーシュトラ州アウランガーバードのパイタンという町の名前を取ったものです。パイタンはかつてプラティシュタンと呼ばれ、古代には貿易の中心地としてよく知られた町でした。このサリーは非常に細い絹糸を手織りしたものです。

パイタニサリー独特の特徴は、両面織りの技術を利用していることと、一般にブティダールと呼ばれる無地の面とは対照的なボーダーと布地の片端だけにあるパルーという模様です。パルーには絹糸に金糸や銀糸を織り交ぜた模様があります。2 種類の違う色の糸をあわせて織り上げることで、特別なドゥープチャブ(dhoop-chav)という明暗の効果を出しています。

他のいくつかの地域で行われている織り方と同様、パイタニも、一族ごとに世代から世代へ受け継いでいく技巧です。パルーのさまざまな色を使うミーナカリ(minakari)という繊細なデザインは、ティリーという紡錘をいくつも使って織り上げられるもので、作業は複雑で非常に手間がかかります。パイタニ織りはサリーやパグリー(pugdi)と呼ばれるターバン、ドウティ(dhoti)と呼ばれる男性の腰布、ドゥパッタ(dupatta)と呼ばれる女性のショールなどに用いられていますが、その中で最も手の込んだものはやはりサリーです。通常このサリーはボーダーが紋織りで、カラフルな花などをデザインした大きな金色のパルーがあしらわれています。 金色の細かな花の地模様があることもあります。パルーは、花と花瓶、クルミ、クジャク、アジャンタの蓮、フマ(huma)という伝説の鳥など、さまざまな模様で豪華に装飾されています。一部のサリーにはアシュラフィー(ashrafi)と呼ばれる金貨の模様が布地いっぱいに広がっています。

ジャンブル染めパイタニ

パイタニサリーはマハーラーシュトラの豪族に広く用いられていたもので、ペーシュワー(Peshwa)と呼ばれる同地の宰相はパイタニを特に保護していました。パイタニが好まれていたことを示すように、さまざまな種類や色のドウティやドゥパッタ、ターバンなどを注文する手紙が数多く残されています。記録によると、無地に金銀糸の刺繍を施したドゥティや、緑色のターバン、赤やピンク、オレンジ、緑の糸で花と花瓶やココナッツを象った刺繍を施したドゥパッタなどが好まれていたようです。 その後パイタン以外でも、多くの地域の中心地でパイタニ織りの生産が始まりました。そうした町のひとつ、ヨーラはマンゴーの柄で有名になったところです。パイタニはカーストのひとつであるマラーター(Maratha)の間で普及しただけではなく、何度かヨーラを訪れていたハイダラバード王国のニザーム(君主)とその一族をも魅了しました。ニザームの息子に嫁いだベーグム ニルファは、パルーのデザインを採り入れただけではなく、新しいモチーフのボーダーも考案しました。

古くからジャンブル染めパイタニと呼ばれているこの紫色のパイタニは、収集家自身の報告によると、元はニザーム一族が所有していたものでした。布地に織り込んだと見違えるほどのジャイプル(ジャスミン)柄の金銀糸の地模様がパルーの近くまで布いっぱいに散りばめられています。幅広のボーダーにはココナッツ模様の刺繍が施され、パルーに近い部分の布地には、マンゴーを象った 8 つの花模様と、銀糸で刺繍された花を囲むように菱形の花枠模様があります。金色のパルーの上にマンゴーのモチーフが銀糸で刺繍されているため、金と銀の美しい対比が見られ、さらに、つる草柄のボーダーがパルー全体を取り囲んでいます。

シェラ(Shela)(マハーラーシュトラ スタイルのストール)

マハーラーシュトラの婚礼には、パイタニサリーとシェラ(ストール)が付きもので、家族は手が届く最高のものを嫁入り道具として持たせます。こうした品物は後に世襲財産として大切に保管され、何世代にもわたって衣服として受け継がれていき、思い出が染み込んでいきます。一般にシェラは、家事の責任を引き渡すことの象徴として、姑から嫁に受け継がれていきます。

ファリードコート藩王国は当時イギリスと友好関係にありました。これは、あるイギリスの役人に贈るため、あるいは逆にイギリス人からの贈り物として、特別にあつらえられたもののようです。

シェラ(アンガヴァストラ(Angavastra))

このシェラには狩猟を象徴する地模様があります。レイヨウ、ゾウ、トラなどの動物やさまざまな鳥、そしてそれを追う狩人が、森を表す様式的なツル植物の織り柄の間に散りばめられ、シェラの両端には金銀糸で森の情景を表す細密な紋織りが施されています。また、ファリードコート藩王国の紋章である獅子頭とイギリス東インド会社の紋章が交互に帯状にあしらわれています。ファリードコートは当時イギリスと友好関係にありました。これは、あるイギリスの役人に贈るため、あるいは逆にイギリス人からの贈り物として、特別にあつらえられたもののようです。

Indian Beauty

Picture Postcard depicting a Woman wearing a Nine-yard Brocade Sari

ガージョルー(Gharcholu) - 婚礼用サリー(グジャラート スタイル)

このタイプの伝統的なガージョルー サリーは、グジャラートのヒンズー教徒とジャイナ教徒の商人社会で婚礼のときに着るもので、姑から嫁に贈られます。ガージョルーは絹または綿の非常に細い糸で織られており、バンダニ(bandhani)と呼ばれる絞り染めか金銀糸の織り交ぜによる格子模様が特徴的です。

このタイプの織物を生産している主な中心地はカッチとソーラシュトラです。

パトラ織りのユニークな点は、まず織り糸を目的のデザインに合わせて染めてから織ることです。ここで用いられる技術はイカット(ikat)と呼ばれます。

「イカット」という言葉は、マレー語とインドネシア語で「縛る、結ぶ、巻き付ける」などを意味する「ムンイカット(mangikat)」という表現から来たものです。パトラサリー 1 着を織るには、通常 8 か月かかります。

パトラ(Patola)サリー

パトラは人気の高い装いで、グジャラートでは花嫁の誰もが結婚式でパトラを着たいと願っています。グジャラートでは、結婚式のときは花嫁の母親がパトラサリーを着るのが良いとされています。

花嫁は、結婚式用の白いパーネター(panetar)に赤いパトラのボーダーが付いたサリーを着ます。 一部の地域では、悪魔を撃退するために、パトラの布を使って花嫁と花婿の間に結び目を作ります。結婚式が終わって少女から妻に変わると、花嫁はパトラを着ます。

ブロケード テンプル サリー(コルナド(Kornad) スタイル)

幅広のボーダーを持ち、豪華な紋織りのこのサリーは、タミル ナードゥ州にあるコルナドサリーの 1 種です。テンプルサリー(寺院のサリー)として知られています。本来、テンプルサリーとは、寺院の神に捧げるために織られたサリーのことです。豪華な紋織りのこのサリーには、花柄をあしらい、トラ、シカ、クジャクなどの動物をモチーフとした 13 本の帯でできた幅の広いパルーがあり、地模様は花です。テンプルサリーは結婚式や特別な日にも着られます。

赤い色は欲望と情熱を象徴しています。また、赤は情緒と子孫繁栄に関する特性を表す色であるため、幸運の色でもあります。そのため、花嫁と新婚女性にぴったりの色として扱われています。

カンチープラム(Kanchipuram)サリー

カンチープラム サリーの名前は、タミル ナードゥ州の同名の古い寺院町から付けられたものです。このサリーには金色のチェッカー柄の地模様があり、幅広のボーダーが特徴的で、花を付けたつる草やゾウ、クジャクの刺繍を密に施したパルーがあります。

酒を楽しむ女性の肖像
西暦 1630 年頃

この大昔の肖像画は、描かれている女性の身分が学者を迷わせてきた興味深いもので、これまで、王女から娼婦までさまざまな解釈がなされてきました。絵に題辞が一切ないため、女性の身分は周囲の環境と彼女自身の装いから推測できるだけです。

この女性は、美しい紋織りの縞模様のサリーをドゥティのようにカシュタ(kashta)スタイル(王族の様式)で着ており、左肩の上を回して身を包み、見事なパルーのある端を身体の前に広げています。ブラウスの袖には豊かな装飾があります。足に飾り鋲付きの金のアンクレットを付けていることは特に注目に値します。金のアンクレットは王族の特権であり、特別な寵愛を受けて特に王様から許可を受けた人物だからです。

描かれている情景は宮殿のような建物で、花瓶などの装飾品が壁の窪みに飾られ、鮮やかな金の模様のある緑色のカーテンが掛けられています。女性が寄りかかっている刺繍付きの巨大なクッションは、王族を描いた絵によく見られるものです。

タンチョイ(Tanchoi)

19 世紀のパールシー教徒社会の全盛期を象徴するタンチョイは、ガラ(gara)とともにインドシナの織物として開発されたものです。 1856 年頃、インドで初めて准男爵になったサー ジャムシェトジー ジージーバーイーは、スーラトのジョシ一族から 3 人の織工を上海の織り職人であるチョイ氏の元へ送り、中国の特別な種類の絹織物の技術を学ばせました。この技術についてかなりの熟練を積んで帰国した職人たちは、師であるチョイの名前を掲げ、織った布地はタンチョイと呼ばれるようになりました。

動力織機の導入と流行の移り変わりにより、タンチョイ織りは 20 世紀初頭に廃れてしまいました。

サパート(sapaat)と呼ばれるスリッパに使用する布地

パールシー教徒の裕福な家では、タンチョイ織りの布を使って履き物も作っていました。この流行を中国から採り入れたのは、パールシー教徒の女性たちでした。この布地は、ジョシ一族の末裔である織り職人のカイクシュロ S. ジョシが織ったものです。彼はマハトマ ガンディーが国産品愛用を呼び掛けたスワデシ(Swadeshi)運動に倣ってタンチョイ織りの復興を試みたものの、失敗に終わりました。ジョシはスーラトに大規模な工場を構え、織工を雇って、多くの美しい布地を工場生産しましたが、残念ながら売上による資金の支えが十分ではなく、工場を閉鎖せざるを得ませんでした。

ブラウス

タンチョイ織りの布はブラウスを縫うためにも使われていました。

ブラウス

タンチョイ織りの布はブラウスを縫うためにも使われていました。

イカット(Ikat)サリー

これはイカットの良い例で、一般にサンバルプーリー(Sambalpuri)サリーと呼ばれるものです。

カデュワ(Kadhuva)サリー(バナラス(Benarasi)ブロケード)

バナラス ブロケード サリーはインド全域で婚礼の際に着用されるサリーです。多岐にわたるインドの織物の中で、バナラス ブロケードは独自の位置を占めており、豪華な生地は贅沢と美しさを表しています。明るい色の絹糸や金銀糸が用いられたこの紋織りには、非常に多彩なパターンがあります。

この技法では金や銀の糸がとても密に使われるので、布地の地模様はほとんど見えません。デザインには花や動物、鳥などのモチーフが用いられます。

バナラス ブロケード サリー

このタイプのバナラス ブロケード サリーは一般にガンガジャムナ(Ganga Jamuna)として知られるもので、金と銀の糸か、その他の 2 色の糸を組み合わせて織られています。

このサリーには、金と銀の糸を使った 6 枚花びらの模様が全体に散りばめられています。パルーには花を付けたつる草のデザインが密に織り込まれ、その間に様式化されたペイズリー模様があります。パルーに近い地の面の隅にはマンゴーのモチーフがあしらわれています。

ブロケード サリー

このブロケード サリーは、赤紫色の布にさまざまな動物や鳥が非常にリアルに描かれているユニークなものです。描かれている動物は、シカ、ゾウ、ライオン、トラ、ヒツジ、ウマ、ウシ、ラクダ、ウサギ、オウム、ハト、雌雄のクジャク、魚、ワニなど多岐にわたります。いくつかの場所には、翼を持つライオンなどの合成された姿の動物も描かれています。幅広のボーダーには、花を付けたつる草の間にオウムとゾウが連なった絵柄があしらわれています。身に着けたときに見えなくなる上端は、黄色、青、緑、白の絹糸で織られており、下端には金銀糸が織り込まれています。パルーには地模様の中に大きな 2 つのマンゴーの柄があります。

バティック(Batik)サリー
バティックは、布地に模様を付けるために使われていた最も初期の手法のひとつです。この手法の起源についてはさまざまな説があり、一部の学者は中国を起源とするものだと主張し、一部はインドやジャワが起源であると考えています。一般にはジャワのろうけつ染めの技法としてよく知られています。

この技法では、ロウを塗って染液が染み込まないようにする防染処理によって模様を作ります。布地を染めた後には、ロウを塗った部分に元の布の色が模様として残ります。この技法は国内では忘れられていましたが、サンティニケタン大学が 1923 年頃に復活させました。プラティマ タゴールはパリでバティックの技法を学び、サンティニケタンでワークショップを始めました。

バティック サリー

ここにあるサリーはバティックのユニークな一例で、ベンガル芸術学校の著名なアーティストであるノンドラル ボースが 1940 年頃に特別にデザインしたものです。

このサリーはモティア(motia)と呼ばれるオフホワイトの上質の絹布にデザインされており、熱したロウを銅の器から注ぐチャンティング(tjanting)という手法を用いてブラシで模様が描かれています。この手法では、注ぎ口からゆっくりと続けてロウを流し、フリーハンドで模様を描きます。この茶色い絹のサリーには、パルーとボーダー、そして身に着けるときには幾重ものプリーツになる布の中心部に、花を付けたつる草の大胆な模様があります。

バティック サリーを着たスシラ アッシャー女史

先ほどと同じバティック サリーを着たスシラ アッシャー女史です(受入番号 97.12/2)。これは、1940 年に有名な舞踊劇である『Shyama(シャマ)』と『Natir Puja(踊り子の礼拝)』を詩聖(Gurudev)タゴールの前で演じたときのものです。

これは、バンシ メータ氏が妻であるスシラ アッシャー女史のコレクションから当博物館に寄贈したものです。

カラプール(Kuruppur)サリー

カラプール織りは南部タンジャーヴールの織工の手になる優美な織物ですが、残念ながら現在はその技法が失われてしまっています。この生産技術には、金銀糸の緯糸を綿の経糸に織り込む卓越した技法と、防染で染めてから刷り重ねるという技法が用いられています。通常はマンジスタ(manjishtha)(学名 Rubia Cordifolia、インドアカネとも呼ばれる)で染めるため、濃い栗色や茶色がかった赤色をしていますが、染色していない自然な色合いのカラプール織りの布もたまに手に入ります。

この技法はおそらくタンジャーヴールをボスラ一族(Bhoslas)が治めていた時代に開発されたものです。すでにインドには多岐にわたる織物がありましたが、この技法の登場により、きわめて洗練されたバリエーションがまたひとつ加わりました。サリーの他にも、この資料のターバンもこの技法で織られた布地です。

サリー(デカン(Deccan)スタイル)

10 ヤードサリーとして仕立てられているこの布地は、イカット刺繍、ジャムダニ(jamdani)織り、さらに紋織りの技法が組み合わされた、創意に富んだユニークな織物です。

最初に手繰り糸を括って濃い青に染め、それを経糸と緯糸に使って縦と横の縞を作り、地の面にモノクロの四角形模様を描きます。大きなパルーには、美しくデザインされた込み入ったパターンの幾何学模様があり、それと同じような模様で飾られたボーダーで囲まれています。ダークブルーの小さな四角形の中には、ジャムダニ織りの技法で織り込まれた金色の星が散りばめられています。パルーの端にはドームのような模様が横幅いっぱいに広がっていますが、これもジャムダニ織りの技法で栗色と金色の糸を使って織り込まれたもので、見た目はパイタニサリーのパルーにとてもよく似ています。通常はボーダーにも、茶色と金色の糸で織ったパイタニ織りと同じココナッツ模様があります。

このサリーが非常に格調高く念入りにデザインされていることは明らかで、アーンドラ州が産地として知られている極細の手繰り糸と手織り綿布に、伝統的なモチーフや模様がそのまま使われています。黒の星形模様は伝統的なデカン スタイルの典型で、このサリーに一定の間隔で 4 本あしらわれているクリーム色の帯を除けば、チャンドラカラ サリーにも見られるものです。サリーの色が濃い青であることも、必ず黒であるチャンドラカラ サリーとは異なる点です。一般にこのタイプのサリーは、ヒンズー教の春の収穫祭であるマカラ サンクラーンティ(Makara Sankranti)の日に着るものです。

このサリーはさまざまな技法を組み合わせて織られているので、その起源を正確に確かめることは困難です。マハーラーシュトラのパイタニ織りに見られる両面織りの技法と、アーンドラ プラデーシュのイカット刺繍から、おそらく、デカンの織り職人の手になるものであることがわかります。

世襲財産
世襲財産とは、「一族が何年もの間所有し、世代から世代へ受け継いでいくもの」のことです。インドには、織物を世襲財産とするという太古からの伝統があります。女性は特別なサリーを一族の世襲財産として大切に守り、後に次の世代へ受け継ぎます。こうした伝統は、受け手への尊敬または祝福のしるしと考えられています。

Baluchari sari

The Museum has this sari in its collection from the heirloom of the Tagore family. It is a beautiful Baluchar sari which belonged to Jnanadanandini Devi (1850-1941), wife of Satyendranath Tagore (1842-1923), elder brother of Gurudev Rabindranath Tagore. Jnanadanandini Devi gifted it to her daughter-in-law Sanga Devi, wife of Surendranath Tagore (1872-1940). Later on Sanga Devi gifted it to her daughter Joyasree Sen (nee Tagore) during her wedding in 1927. Joyasree married Kulprasad Sen. Gurudev Rabindranath Tagore was the acharya for this marriage.
The Museum acquired this sari from Haimanty Dattagupta who is daughter of Joyasree Sen. It was presented to her in her wedding in 1963 by Joyasree Sen.

バールーチャリー サリーはベンガルで生産されていますが、装飾的なデザインの構成はグジャラートのサリーに典型的なものです。ベンガルのサリーはボーダーの装飾が強調されていますが、たいていの場合、パルーはかなりシンプルです。ベンガルのサリーを身に着ける際のスタイルでは、パルーのある側よりもボーダーの美しさを強調します。一方、グジャラートの女性がサリーを身に着ける場合は、着付けでパルーを強調します。かつて、このサリーの発祥地であるムルシダーバードの近くにグジャラート人の多くの商人が移住してきました。こうしたグジャラート人商人が妻や娘のためにバールーチャリー サリーを仕立てさせたという可能性があり、そのことで、ベンガルで生産されるこの種のサリーに装飾の多い大きなパルーが用いられるようになったことの説明が付くかもしれません。

経糸には絹の撚り糸を、緯糸にはそれと対比色の太い絹糸を用いています。このサリーはバールーチャリー サリーの典型例です。白、クリーム、濃いピンク、緑、青、栗色の小さなマンゴー模様が斜めに繰り返され、紫色の地の面を飾っています。四辺を囲む幅広のボーダーには、連続した渦巻状の文様として様式化されたピンクの花模様が付けられています。技巧を凝らしたパルーの中心には大きなマンゴーまたはペイズリーのモチーフが 5 つあり、そのうち 4 つはピンクと栗色の絹糸で織り込まれています。5 つ目のモチーフはナザールバトゥ(nazarbatu)と呼ばれ、何らかのキズを表すように栗色の糸のみが用いられています。バールーチャーの織工は、悪魔の目を避けるためにわざと色やデザインの中にナザールバトゥ(キズ)を残したのです。中央に連なるマンゴー柄の周囲には、当時は目新しかったはずの蒸気機関車と列車という近代的な風景がデザインされています。二階建ての客車には山高帽をかぶったヨーロッパ人の乗客が座っています。これらの柄の間には、動物と人間の姿を組み合わせたデザインも施されています。エナークシ バワニも、著書『Decorative Designs And Craftsmanship of India(インドの装飾的なデザインと職人芸)』で、鉄道の風景がデザインされた同様のサリーについて記述しています。

マヘシュワリ(Maheshwari)サリー

このマヘシュワリ サリーは、グジャラート地方ヴァドーダラー藩王国の君主、ガーイクワードの第二夫人であったマハラニ チムナバイ(1872-1958)が所有していたものです。

マヘシュワリ(Maheshwari)サリー

このマヘシュワリ サリーは、グジャラート地方ヴァドーダラー藩王国の君主、ガーイクワードの第二夫人であったマハラニ チムナバイ(1872-1958)が所有していたものです。

カシーダ(Kashida)サリー

カシーダ、またはカスティ(kasuti)は、カルナータカ州ダルワール地方の女性が行う伝統的な刺繍で、一族の世襲財産として守られてきたものです。この刺繍のデザインは型紙をなぞって行うのではなく、布地の目数を数えながら刺繍が施されています。そのため、この技法は多大な労力を要し、かつ幾何学模様についての理解が必要です。数え間違えると布の長さがわずかに変わり、デザインの対称的な規則性が損なわれてしまいます。暗い色の綿布にこのような細密な刺繍を施すのは、カリガー(karigar)と呼ばれる職人の視力を酷使する作業でした。

この刺繍では、両側のデザインが同一に見えるように、縦、横、斜めのさまざまな方向で表と裏を同じ針目で均等に縫っていくのが基本です。白やオレンジなどの明るい色で模様を描き、対称的な青や黒で暗い影になる部分を描いてデザインします。

カリガーでよく用いられるモチーフは、神話に出てくる建物のデザインや動植物、日常生活の情景などです。それぞれのモチーフには、パドマ(padma)、ゴープラ(gopura)、トゥラシヴリンダーヴァン(tulasivrindavan)などという特別な名前が付けられています。ボーダー全体、技巧を凝らしたパルー、サリー本体にはカスティ刺繍が施されています。プリーツになる部分に近づくにつれ、サリー本体のモチーフと地模様の大きさが小さくなり、数が減っていきます。

カスティ刺繍が施された黒い「チャンドラカラ」サリーを持つことは、花嫁の慣例でした。カルナータカでは、新婚の女性にカシーダ サリーとブラウスにするカーン(khan)を贈る習慣がありました。義理の両親や姻族からサリーを贈られることは、花嫁にとって名誉であると考えられています。多くの女性は贈られたサリーを一族の世襲財産として大切に守り、次の世代へ受け継ぎます。また、妊娠している女性への子孫繁栄を願う贈り物にする場合もあります。
濃い青の綿布でできたこの 9 ヤードのイルカリ ナッヴァリ(irkali navvari)サリーは、幅の広い栗色の幅広ボーダーに絹糸で菱形模様の刺繍が施されています。パルーには横方向にグレーと紫の帯があるだけです。パルーに近い青地の面には、白やオレンジ、紫、緑の糸を使って、蓮、つがいのクジャク、動物、人物、花咲く樹木を表す複雑な刺繍が施されています。また、幾何学的な花模様の 2 本の帯がパルーと並行に配置されています。サリー本体には、白の綿糸で施されたルマリ(roomali)と呼ばれる花模様があります。パルーと地の面の間は、複雑なつる草模様で区切られています。このカスティ刺繍の技法は、縫い目 1 つの長さを布地の糸 2 本分にするため、2 本の糸という意味のドスティ(dosuti)と呼ばれています。

アコガロ(Akho Garo)サリー

このサリーは、詩人アルダシール カバーダール(1881-1953)の家族が所有していたものです。

ガロを着ていれば、パールシー教徒の女性であることがわかります。特別な日や婚礼のときに着るサリーです。中国刺繍を高く評価していたパールシー教徒の商人は、刺繍が施された絹布を家族のために購入し、サリーの刺繍されたボーダーや、サリー、ブラウス、パンタローンなどを仕立てていました。刺繍はさまざまな種類の中国産絹布に施されています。

時が経つにつれ、グジャラート語でサリーを意味するガロという言葉は、中国刺繍が施されたサリーのことを指すようになりました。

アコガロサリー

このサリーは、偉大な物理学者であるホミ バーバ卿の母、メヘレン バーバが所有していたものです。

中国刺繍を高く評価していたパールシー教徒の商人は、刺繍が施された絹布を家族のために購入し、サリーの刺繍されたボーダーや、サリー、ブラウス、パンタローンなどを仕立てていました。刺繍のモチーフの多くには、象徴的な意味があります。牡丹とモクレンは春を表し、キノコと竹は長寿を表しています。また、シカとツルは長生きの象徴であり、蝶は幸福の象徴です。

当博物館には、世襲財産として受け継がれてきた織物がいくつか所蔵されています。それらを受け継いできた一族の方々は、愛する人々がいつまでも記憶に残ることを願い、世襲財産を将来の世代のために保存して、豊かで多様な伝統を鑑賞し理解してもらうには、博物館が最良の場所であるという考えから、こうした世襲財産を手放しました。

社会的アイデンティティとしてのサリー
このチャンデーリー(chanderi)サリーは特別あつらえのユニークなもので、着る人の心に愛国心があることを表しています。布全体には星形の地模様が金銀糸で織り込まれています。その地模様の上とボーダーの横には、緑と栗色のレッサム(resham)という絹糸でヴァンデ マタラム(Vande Mataram)のスローガンが織り込まれています。

インドに革命をもたらしたこの詩は、1882 年にバンキム チャンドラ チャトパーディーが書いたもので、まもなく自由のために戦うものを鼓舞するスローガンになりました。この詩が初めて政治の舞台に登場したのは、1896 年にラビンドラナート タゴールがインド国民議会で詠唱したときのことで、その後 1950 年にインドが独立したときに国民歌となりました。

Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya
提供: ストーリー

クレジット

キュレーション: マニーシャ ネネ(収蔵品担当副館長)
ヴァンダナ プラパンナ(シニア キュレーター)
図版: スミタ パルテ、プラチー シャテ、スネハ メストリー
アシスタント: シャナン カステリーノ(考古学担当シニア キュレーション アシスタント)
調整: ニランジャナ ソム(美術担当アシスタント キュレーター)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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