日本刀の製作に不可欠な砂鉄や水、アカマツといった材料に恵まれていた備前国で、現在まで作られている刀の総称

備前の歴史
吉備(きび)国は古代、出雲国や畿内と並んで大きな勢力を持っていたといわれ、巨大古墳文化を有していました。また、優れた製鉄技術を持ち、それが強国となる原動力であったといわれています。持統天皇3(689)年の飛鳥浄御原令の発布をもって備前国、備中国、備後国に分割され、それから二十数年後の和銅6(713)年に備前国から美作(みまさか)国が分立したといわれています。備前国は現在の岡山県東南部、香川県小豆郡・直島諸島、兵庫県赤穂市の一部を指します。また刀剣博物館のある瀬戸内市の長船(おさふね)は鎌倉時代より刀の生産地として全国に名を馳せていました。
備前刀とは
明治以降、日本刀の研究が進んだ結果、その特徴や作風を5つのグループに分類しました。それが山城(やましろ・京都)、大和(やまと・奈良)、備前(びぜん・岡山)、相模(さがみ・神奈川)、美濃(みの・岐阜)の5つです。これらはかつての行政単位である国の名であり、これら5つの地域の特徴ある作風は、伝法として弟子から弟子へ、地域から地域へと伝えられました。そしてそれぞれ山城伝(やましろでん)、大和伝(やまとでん)、備前伝(びぜんでん)、相州伝(そうしゅうでん)、美濃伝(みのでん)と呼ばれるようになりました。これらを総称して五箇伝と呼びますが、後に作られた日本刀研究のための分類であって、当時の刀工たちがこの分類をしていたわけではありません。
備前刀の歴史
平安時代後期に源平が武家二大勢力として台頭し、主戦武器の太刀が急速に発達するようになります。この時期に、良質な砂鉄が採れる備前国にも刀工の各流派が現れてきました。鎌倉時代に入り源頼朝が没すると、後鳥羽上皇は作刀を奨励し北条氏と対立。承久の乱で勝利した北条氏が実権を握りますが、これらの戦で主戦武器の刀剣の技術は磨かれ、刀剣史上のピークを迎えます。この時期に備前国では銘に「一」の字を切ることで有名な福岡一文字派が台頭、後に吉岡一文字派、長船派などが活躍しますが、鎌倉時代後期〜南北朝になると戦闘方法も変わり、騎兵から歩兵になると太刀と打刀(うちがたな)を併用するようになります。室町時代に入り、応仁の乱が勃発すると完全に打刀が主力武器になり、需要がピークを迎えました。この需要に応えるため瀬戸内市の長船には、鎌倉から室町時代にかけて「鍛冶屋千軒」と呼ばれるほど、多くの刀匠が居住していたと伝えられています。
備前刀の特徴
備前国は、各時代の政治の中心地から離れた場所にあり、政権の盛衰に影響されずに繁栄しました。また砂鉄や水、熱効率のいいアカマツの木炭といった日本刀の製作に不可欠な材料にも恵まれていました。備前伝の特徴は、よく詰んだ板目肌(いためはだ・木の板の模様に似ている地肌のこと)、杢目(もくめ)混じりの板目肌に匂(におい・鋼の粒子が細かくて一粒一粒肉眼で判別できないもの)本位の丁子(ちょうじ)乱れを焼き、地に映り(うつり・刃文の影が映ったように地に現れるもの)が出ることです。この映りと丁子こそが備前刀の特徴であり、見所となっています。
備前長船刀剣博物館
昭和58(1987)年、備前長船博物館として開館し、平成16(2006)年に、備前刀を中心とした「備前長船刀剣博物館」としてリニューアルされました。来館者の方に博物館としてだけではなく、「備前おさふね刀剣の里」として、より深く日本刀を理解してもらう場として「備前長船鍛刀場」や「備前長船刀剣工房」が造られました。これにより、日本刀ができるまでの工程を、「刀匠による鍛造~仕上げ~研師(とぎし)~白銀師(しろがねし)~鞘師(さやし)~塗師(ぬりし)~柄巻師(つかまきし)」と実演で見てもらうことができるようになりました。これは名刀を鑑賞するだけではなく、伝統工芸の粋が込められた日本刀の美しさを、目の前で体験してもらうために造られた、世界で唯一の施設です。
備前長船鍛刀場
博物館に併設されている備前長船鍛刀場では、現在美術刀剣類の製作承認された2名の刀匠が作刀しています。刀匠の鍛冶場と違わぬ造りで、玉鋼から鍛錬、火造から焼入れまで、火花散るリアルな刀づくりの体験ができます。毎日通うと、一口ができるまで見学することができます(ただし一部非公開な工程はあります)。また毎月第2日曜日には、1300度の高熱と刀匠が打ち延ばす圧力で、玉鋼から不純物を取り除く古式鍛錬を公開しています。
研師の仕事
刀匠が精魂込めて鍛錬し、作り上げた刀身は研師(とぎし)によって研ぎ上げられます。この研ぐという作業によって、切れ味と輝きが生まれるのです。刀一振り、一振りに個性があり、刀身に語りかけながら研いでゆきます。鋼の状態を確かめながら、どんな時代に生まれた刀か、どこで作られた刀か、と研ぐことによって、それぞれの特徴が発揮できるようにします。また姿、かたちの崩れ具合や錆の状態によっては、それを修復しながら研いでゆきます。
鞘師の仕事
鞘(さや)には鐔(つば)などの金具や塗りが施された拵(こしらえ)の下地のものと、刀身を保護する目的で作られた白鞘(しらさや)の二つがあります。拵は外出用、白鞘は自宅用です。鞘づくりは、刀身を保護するための究極の職人技といえます。鞘には自然乾燥で10年寝かした朴(ほお)の木を使います。朴の木は油気がなく磁気を遮断する特性があります。そして何より柔らかいので削りやすく、あくもないので刀が錆びません。
塗師の仕事
日本刀の鞘は実用的なものなので、丈夫であることが大切です。またそれを美しく仕上げることが求められます。薄く削られた鞘を下地~中塗り~上塗りという工程は普通の漆器造りと同じですが、長い鞘を均一に美しく塗り上げるのは高い技術力を必要とします。漆の天然樹脂は撥水性にすぐれ、刀を保護する鞘にはなくてはならないものだといえます。さまざな工夫を加えることで優美で美しい鞘が完成しますが、その作業には2~3か月を要します。
柄巻師の仕事
柄巻(つかまき)は刀剣を上手く操るために柄を補強することと、実践的に手溜(てだまり)をよくする目的でおこなわれてきました。古代では、刀の柄は漆木や藤づるで巻いたりしていましたが、江戸時代になると革包みにして正絹(しょうけん)の組紐で菱に巻かれるようになりました。また補強と組紐がずれない工夫として鮫革(さめがわ=エイ)を使いましたが、鮫革の粒は真珠のような光沢で見た目の美しさと、上質な鮫革は一匹のエイから一枚しか採れないという稀少性から、当時でも大変高価なものだったようです。補強とずれなさと美しさの3拍子そろった、鮫革以上の素材はいまだに無いといわれています。
装剣金工師の仕事
鐔(つば)は刀剣づくりと同様の鍛鉄を使い、刀身彫りと同様に絵付け~彫り~磨きという作業をおこないます。仕上げ磨きの前にミリ単位の細かな作業を続けながら、立体的で繊細な象嵌を施します。象嵌とは鐔に色彩を施すために、金・銀・銅などを打ち込んで繊細な文様を表現することです。また地金を保護するために錆づけをおこない、それによりさまざまな彫刻や象嵌が浮き上がり、鐔の中に小宇宙が完成することになります。
次代に伝える
「日本刀は、やきものを除いた日本の伝統工芸のほぼすべての要素を組み合わせてできています。日本刀も道具ですから形や重さにも必然性があり、まさに用の美です。その日本刀に合わせた目貫(めぬき)や金具や塗りがあり、すべての要素に意味があってできています。そこに注入された工人たちのエネルギーと情熱は尋常ではありません。なぜここまでこだわるのか、という日本人のおもしろい一面を見るような気がします。博物館には外国人のお客さまもたくさんお見えになりますが、かえって外国人の方のほうがその面に気づいておられるのでしょう。その日本文化の塊のような日本刀、備前刀の美しさ、面白さを次代に伝えることが私たちの使命だと考えています。」と学芸員の植野哲也さんは語ります。
更なる挑戦
2012年に備前長船刀剣博物館で「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」という企画展が開かれ、2カ月で47,000人を動員したということがニュースになりました。通常の特別展でも来館者は5,000人くらいなので、本当にたくさんの方たちが長船を訪れたことになります。年6回の企画展のうち、特別展は3回おこなわれ、夏は若者向けの企画が続いています。「戦国BASARA」や「戦国無双」などのゲームやアニメと連動した展覧会も開かれました。最近は女性コミックでも取り上げられて、若い女性のお客さまも増えています。もちろん名刀展もおこなわれますが、なるべく多くの若い人たちに日本刀の魅力を伝えたい、備前長船刀剣博物館がそのきっかけになってくれたらと考えています。
備前長船刀剣博物館
立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学
提供: ストーリー

【資料提供&協力】
備前長船刀剣博物館
・瀬戸内市

【監修&テキスト】
・上野昌人

【編集】
・橘鷹美咲(京都女子大学家政学部生活造形学科)

【映像】
A-PROJECTS 高山謙吾

【英語サイト翻訳】
・Eddy Y. L. Chang

【英語サイト監修】
・Melissa M. Rinne (京都国立博物館

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也 (京都女子大学 准教授

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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