香川県西讃地方で受け継がれてきた、草木染め木綿糸が綾なす郷土玩具

讃岐平野の恵み
瀬戸内海に面して讃岐平野が広がる香川県北部。おにぎり型の山が点在する地形と少雨温暖な気候で知られ、江戸時代には、讃岐三白(さぬきさんぱく)、すなわち和三盆糖、塩、木綿の生産で栄えました。讃岐かがり手まりは、三白のひとつである木綿を用いて作られてきた郷土玩具。昭和62年(1987)には香川県伝統的工芸品の認定を受けています。現在、讃岐かがり手まり保存会代表である荒木永子を中心に、150人以上の会員が技術を継承、手まりの普及に努めています。
手まりの歴史
手まりの起源は中国伝来の蹴鞠。平安時代には、貴族の雅な遊戯として広まります。当初のまりは鹿革製でしたが、江戸時代になると、御殿女中たちの手芸として糸かがりの〝御殿まり〟が大流行。やがて農村にも技法が広まり、子どもの玩具として手まりが作られるようになりました。江戸時代後期の禅僧・良寛(1758~1831)は、いつでも子どもたちとまりつきして遊べるよう、懐に手まりを入れていたといいます。その遺品は江戸後期の手まりの姿を伝えています。
讃岐かがり手まり保存会
絹や木綿の糸でかがり、色とりどりの幾何学模様をほどこすかがり手まりは、日本各地で個性豊かに発展します。しかし、明治時代に入ると機能的なゴムまりの登場により衰退、西讃地方の手まりも例外ではありませんでした。1960年代、香川県の職員だった荒木計雄は、地元の民藝品や郷土玩具の調査中に、観音寺市に伝わる伝統的な手まりの存在を知り、技術の復元と普及に尽力。昭和58年(1983)には、観音寺市にて〝讃岐かがり手まり保存会〟を、妻の八重子とともに立ち上げます。
四角つなぎと変わり菊
幾何学模様と菊の組み合わせ。かがる糸の数や配置により、同じ技法でも雰囲気が変わります。
代表的な手まりの模様。草木染めの木綿糸から生まれる優しい色調。糸に負担をかけないように染めると、自然と柔らかなトーンが生まれます。
かごめ
竹籠かごめの編 み模様をアレンジ。自然や暮らしの中にあるモチーフを工夫して模様にしてきたかがり手まり。
歌舞伎十八番『暫』の衣装をイメージしたモチーフ。球形の上で表現すると、独特の面白みが生まれます。
讃岐かがり手まりの技法1
木綿の糸を草木で染める 化学染料に頼ることなく、昔ながらの植物染料による染色を行っています。木綿糸は、大豆で作った豆汁(ごじる)で下染めをほどこしてから、煮出した植物染料で染めます。大豆のたんぱく質を糸に浸透させることで、糸は染まりやすくなります。
讃岐かがり手まりの技法2
もみ殻を薄紙で包んで芯にする 日本の伝統的な手まりは、木綿わた、おが屑、もみ殻、ぜんまいわた、古布などを芯にして作られていました。讃岐かがり手まりは、今も変わらずもみ殻を薄紙で包んで芯にしています。かがる時、針を刺すたびにさくっさくっと音がします。昔とは異なり、もみ殻を入手するのも難しい時代ですが、地元の農家の協力を得て、必要な量を確保しています。
讃岐かがり手まりの技法3
土台まりを作る 芯に細い巻き糸を巻いて、丸い土台まりを用意します。球状にすることが肝心で、様々な方向に不規則に巻いていきます。時々手で押してゆがみを整え、紙が見えなくなるまでまんべんなく巻きます。
讃岐かがり手まりの技法4
染め糸で地割りをしてから、模様をかがる 土台まりを染め糸で均等に分割して、模様をかがる案内線にします。手まりを地球に見立てて南極、北極、赤道を決め、地割り線をかがります。模様により、4分割、6分割、8分割、10分割などに地割りをします。この線をガイドラインにして、針で模様をかがります。
手まりをもっと広めるために
玩具としての役割は失われたものの、手まりのかがり模様が持つ素朴で優しい美しさは現代人にとっても魅力的なものです。讃岐かがり手まり保存会では、手まりの可能性を求めて、新たな用途の開拓も積極的に行っています。
立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学
提供: ストーリー

資料提供&協力:讃岐かがり手まり保存会分水良寛史料館

写真: 渞忠之

映像: A-PROJECTS 高山謙吾

監修&テキスト:田中敦子

編集:京都女子大学 生活デザイン研究所 鈴山雅子、渡辺雅子(京都女子大学家政学部生活造形学科)

英語サイト監修: Melissa M. Rinne (京都国立博物館

プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授

提供: 全展示アイテム
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