国宝

承和2年(835)、空海の奏請によって正月8日から宮中真言院で7日間の修法が行われるようになりました。これを後七日御修法(ごしちにちのみしほ)といいます。十二天像は道場を守護するために掛けられ、普段は他の道具類と一緒に東寺の宝蔵に収められていました。

大治2年(1127)3月、東寺宝蔵は火災にあい、それまで使用されていた絵も焼失してしまいます。この時、新調されたのが、本図です。ただ、はじめに制作された十二天像は、鳥羽院から「疎荒(そこう)」との批判をこうむり、改めて仁和寺円堂後壁画に基づいて新写されました。

本図は一般に改めて制作されたほうの十二天像とみなされ、セットになる五大尊像とともに東寺に伝えられてきました。豊かな色彩模様と金箔を細く切った截金(きりかね)の地模様が目を奪う、貴族文化の爛熟期を代表する名品中の名品です。

月天

日天

風天

水天

羅刹天

閻魔天

火天

帝釈天

伊舍那天

毘沙門天

梵天

地天

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
Google で翻訳
ホーム
トピック
現在地周辺
プロフィール