赤穂緞通

忠臣蔵の町で生まれた異国情緒溢れる木綿の絨毯

作成: 立命館大学アート・リサーチセンター

立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学

赤穂緞通 《一畳機》出典: 赤穂市立歴史博物館蔵

万暦氈への憧れ

緞通とは絨毯のことで、鍋島緞通、堺緞通、赤穂緞通は、日本三緞通と呼ばれ、それぞれ中国緞通の影響を受けています。赤穂緞通の場合は、児嶋なかというひとりの女性が考案者。旅先で出会った中国の万暦氈に触発されたのがきっかけでした。20数年の試行錯誤を経て、赤穂緞通が商品化されたのは明治7年(1874)。地元で使われていた木綿織り高機を改良することでようやく完成したのです。中国はもとより、鍋島や堺の緞通も竪型の機を使うことから、独自の発想だったことがわかります。

タップして利用

赤穂市立歴史博物館

赤穂緞通 《旧坂越浦会所》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

和洋折衷時代の華

赤穂緞通が盛んに織られていたのは明治期から昭和初期。西洋文化の影響が一般の人々の暮らしにも及び、赤穂緞通は高級敷物として、主に京阪神に流通しました。赤穂緞通に多く見られる蟹牡丹文は、江戸時代から織られてきた鍋島緞通の柄を写したもの。一方、赤穂緞通独自の利剣文は、堺緞通にもあり、赤穂の影響が見て取れます。相互に影響し合いながら、緞通は盛んに生産されて、近代化が進む日本の暮らしの中に浸透していったのです。

赤穂緞通 《坂越浦》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

塩の町の女仕事

少雨温暖な瀬戸内気候の赤穂は、江戸時代、良質な塩の生産で栄えた土地。千種川の河口域には大規模な入浜式塩田が開発され、生産された塩は、塩俵に詰められ坂越浦の港から出荷されました。塩田の仕事を支えるのは男性です。赤穂で緞通の製造が盛んになると、塩田で働く男たちの妻や娘が、織子として働くようになります。

赤穂緞通 《緞通場》(明治末~大正期)立命館大学アート・リサーチセンター

最盛期の織元数は5~6軒

児嶋なかが考案した技術は、嫡孫・松之助により受け継がれ、営業規模が拡大しました。品質もまた高い評価を得て、次第に産業として広まっていきます。明治45年(1912)には5軒の工房が操業、昭和10年(1935)頃には、赤穂緞通の製造業者はすべて現在の赤穂市御崎にありました。工場の入れ替わりはあったものの、5~6軒が操業、200人近い人々が携わっていました。しかし、昭和13年(1938)になると原料の木綿が入手困難になり、全ての工場は閉鎖を余儀なくされます。

赤穂緞通 《加里屋工房》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

赤穂の女性たちが 再び守り伝える

戦後、2軒の工場が小規模ながら再開。1軒は数年で廃業、最後の工場である西田緞通は、平成3年(1991)まで操業を続けます。当初、織子は7名でしたが、工場の閉鎖時はたった1人に。土地の伝統工芸の途絶に危機感を抱いた赤穂市は、最後の織子である阪口キリヱを講師に「赤穂緞通織り方技法講習会」を開講。平成11年(1999)には、講習会の1期生、2期生が「赤穂緞通を伝承する会」を結成します。現在、土地の女性たちを中心に、赤穂緞通の技術が受け継がれています。

赤穂緞通 《はせ糸》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

基本色は茶、青、白

緞通の毛足になるはせ糸は、木綿糸の10番手を21〜23本合わせたものを用います。糸に撚りはほとんどかけません。もともと草木染めだったこともあり、木綿が染まりやすい藍による青系、タンニン系の茶系、それに生成りの糸色で構成された文様が中心。戦前は工場内で植物染料による糸染めが行われていました。現在は、化学染料が中心ですが、一部、草木染めも行われています。

赤穂緞通 《経糸にはせ糸を結ぶ》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

技法の特徴①  経糸にはせ糸を結ぶ

はせ糸の〝はせ〟とは、赤穂の言葉で糸を結ぶことを指します。織り手は、機に貼った下図に沿って糸を結んでは切っていきます。1段糸をはせたら、緯糸を往復入れて筬を打ち込みます。赤穂緞通は、高機ならではの打ち込みがあることで毛を緻密に織ることができるのです。

赤穂緞通 《はせ糸を摘む》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

技法の特徴②  はせ糸を摘む

20段ほど織ったら、〝摘み〟を行います。はせ糸の毛先を切り取る赤穂緞通独特の作業です。道具は、わずかに先が持ち上がった腰折れはさみと呼ばれる握りばさみです。まず、文様の際の左側を切る筋摘み、次に右側を切る逆筋摘み、最後に無地場を切る地摘みをほどこします。こうすることで、文様に立体感が生まれるのです。〝摘み〟が終わったら手前に巻き込んで、またはせる作業に戻ります。

赤穂緞通 《はせ糸を摘む前、摘んだ後》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

摘んだ後の滑らかさ

赤穂緞通ならではの摘みの作業前と作業後。手間のかかる仕事により、ふっくらとした質感と艶が生まれます。緞通が織り上がったら機からはずし、さらに仕上げの摘みを施します。

赤穂緞通 《蟹牡丹文様・市松文様》(写真: 渞忠之)立命館大学アート・リサーチセンター

伝統柄とともに 新作にも意欲的

中国風のモチーフを中心に、日本の伝統文様や、ペルシャ、トルコの絨毯柄にも影響を受けた、伝統的な赤穂緞通の文様を継承しながら、現代のインテリアや好みにふさわしい文様にも取り組んでいます。

提供: ストーリー

資料提供:赤穂市立歴史博物館

協力:橋羽一恵、加里屋工房、ウェッジ「ひととき」

監修&テキスト:田中敦子

撮影: 渞忠之

編集:京都女子大学 生活デザイン研究所 隅谷桃子(京都女子大学家政学部生活造形学科)

プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
もっと見る
関連するテーマ
Made in Japan : 日本の匠
日本が誇る匠の技をめぐる旅
テーマを見る
ホーム
発見
プレイ
現在地周辺
お気に入り