弓浜絣

鳥取県

伯州綿とともに伝承

弓ヶ浜地方
弓浜絣(ゆみはまがすり)の里、弓ヶ浜地方は、鳥取県の北西端、美保湾(みほわん)と中海(なかうみ)を隔てる長さ約20km、幅約4kmの弓形の砂州です。『出雲国風土記(いずものくにふどき)』には「夜見(よみ島」と呼ばれ、古代から海上交通の要所でした。
伯州綿
鳥取県の西部は砂地が多く、綿の栽培に適していました。江戸時代の前期には綿の栽培を始め、後に弓浜絣の産地となりました。
伯州綿の栽培
この地域で産出する木綿(伯州綿)の特徴は、繊維が太く弾力性に富み、保温性にも優れていることです。絣はもちろんのこと布団の中綿としての評価も非常に高い良質な綿です。境港市では、昭和時代に衰退した「伯州綿」の復活を目指し、平成20年(2008年)から耕作放棄地を利用して「伯州綿」の栽培に取り組んでいます。
歴史 昭和中期
江戸時代に木綿の栽培がはじまると、農家の主婦たちが仕事着、晴れ着、布団の生地を織るようになりました。文化年間(1804~1818年)頃には、米子や弓ケ浜周辺で文様を表現する絣が織られるようになります。徐々に副業として発展し、江戸時代末期から明治時代中期に至るまでに最盛期を迎えました。
明治時代の絣
起源は、農民が家族のために織る布でしたので、素朴ながら、家族の繁栄や長寿を願う縁起が良い絵柄が好まれました。
現代の弓浜絣
近代になると、洋式の紡織業が発達し、手織りの木綿は衰退します。しかし、第二次世界大戦後には関係者の尽力により復興しました。現在、地方色豊かな絵柄が見直され、着物地だけでなくテーブルセンター、のれんなど新しい製品が作られています。絵柄の素朴さと、藍染の紺と白のコントラスト、さらに吸湿・保温性に富んだ線素材が大きな特徴です。
糸紡ぎ
弓浜絣の製作では、糸づくりに大変な手間と時間を掛けます。綿繰り機を使って、綿花から種を取り出します。糸車を使い、綿を糸にします。糸車の回転する力により、「ヨリ」(ねじれ)がかかり、糸ができます。
種糸づくり・糸張り 
糸を括り、絣糸を作る際に、括るときの目印になる種糸をつくります。種糸台に長い1本の糸を張ります。図案を彫った型紙を種糸台に張った糸の上に置き、糸に型紙の上から墨を付けます。糸の上に乗せるように墨を付けます。
墨付けした種糸と型紙
型紙には、様々な図案があり、最盛期には、その型紙で作った種糸を売る商売が成り立っていたそうです。
括り(くくり)
染める糸と種糸を束にして、種糸に墨で印が付いたところを糸かテープでしっかり括ります。この括った部分が染まらず白く残り、絣の柄になります。ひとつの絵柄を作るのに、5千~6千箇所の括りが必要になることもあります。
藍染め
糸の束を揃えながら、染めます。時間や回数など確認しながら、目標の色合いになるまで作業を続けます。
絣糸の完成
糸を乾燥させ、括った部分の糸やテープを丁寧に取り除きます。括った部分だけが白く残り、紺と白のコントラストが美しい糸ができあがります。
織り
緯糸の柄を合わせて織っていきます。絣独特のかすれた文様が現れます。
絣の雑貨
着物だけで無く、コースターやテーブルセンターなど食卓に使う物から、名刺入れ、財布、ポーチなどおしゃれな小物も作っています。
絣の着物
鳥取県無形文化財保持者 嶋田悦子氏の「桔梗に水文木綿手紡絣着物(1987年)」。伝統の文様で仕上げた力作です。また、嶋田氏は、伝統技法を次世代に継承するため、後継者育成に尽力されています。
弓浜がすり伝承館
弓浜がすり伝承館は、「弓浜絣」の維持・復興を目的とした後継者養成の拠点であり、展示室も設けています。「浜絣あいの会」など愛好者普及活動や地元の小学生等の機織り体験も行われています。
鳥取県
提供: ストーリー

【資料提供】
鳥取県
境港市
鳥取弓浜 中村括り
・工房ゆみはま

【協力】
鳥取県弓浜絣協同組合
工房ゆみはま
絣音工房

【監修】
鳥取県
京都女子大学 生活デザイン研究所

【テキスト】
鳥取県

【写真】
・前﨑信也(京都女子大学准教授)
・高山謙吾(A-PROJECTS

【映像)
・高山謙吾(A-PROJECTS

【翻訳】
・エディー・チャン

【翻訳監修】
・ローラ・ミューラー

【サイト編集】
・渡邊碧(京都女子大学 生活デザイン研究所
・田岡佑梨(京都女子大学 生活デザイン研究所

【提供】
鳥取県

提供: 全展示アイテム
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