奈良墨 ―日本最古にして最大の生産地の墨―

歴史
日本の墨の歴史は、推古天皇18(610)年、高麗の僧、曇徴がその製法を伝えたことに始まるとされています。文字を書き、文章を記すために必要不可欠な墨の生産は、遷都にともなって奈良に移り、1300年近くの時を越えて、今に至っています。
松煙墨
都が京都の地へ移った後も、奈良は多くの寺院のある信仰の地としてあり続けました。写経などに必要とされる墨の生産が求められたこと、そして墨の原料となる煤を得るための、豊かな山林資源を有していたことから、奈良はまた、優れた墨の産地としてあり続けることとなりました。奈良・平安・鎌倉期頃は、ヤニの成分を多く含んだ松を小さく割り、かまどで燃やして採取した煤「松煙」が用いられました。
煤とともに墨の重要な原料となるのが「膠(にかわ)」です。牛や鹿などの動物の表皮の下、真皮と呼ばれる部分を煮て取り出したこの膠は、強い粘着力を持ち、かつては接着剤として広く使われました。墨は、煤をこの膠で練り、乾燥させて作られます。また、膠の臭気を和らげるために、麝香、龍脳、梅花香などの香料が加えられています。これが、墨を磨ったときの清雅な香りをもたらしています。
油煙墨
行政や文化の担い手にとって、必要不可欠な道具であった墨は、往時は各地で生産されていましたが、その状況が変化し、奈良が代表的な生産地となったのには理由がありました。室町初期、興福寺の二諦坊では、仏前の燈明の煤を墨の材料とすることが試みられたのです。これにより、油を燃やして取られた煤「油煙」を原料とする「油煙墨」が現れ、濃い、黒々とした発色が得られることから主流となっていきました。これにより、いちはやく油煙墨の生産に取り組んだ奈良は、優れた墨の産地として知られるようになり、現在に至っています。
練り
墨作りは、機械化できる行程が少なく、経験ゆたかな職人による、昔ながらの製法によって作られています。採取した煤を、湯煎した膠の液と混ぜて粗練りし、墨玉と呼ばれる状態にします。この墨玉に体重をかけてしっかりと練り合わせる「足練り」、さらに手で細かく練り上げる「手練り」を行います。
型入れと乾燥
練り上がったら、小分けにして木型に入れ、万力で締めて形を整えます。木型には、古くから伝えられた様々な図柄や文字が彫り込まれており、軟らかい墨玉にその模様が反映されます。急速に乾燥させてしまうと墨が割れてしまうため、湿度を調整した木灰の中で、10日から30日ほどかけて、ゆっくりと水分を取っていきます。
加飾
天井に吊るして乾燥させた墨は、表面を蛤の貝殻で磨いたり、金粉や顔料を用いて装飾したりして完成品となります。気温が高いと膠が腐敗しやすいため、墨を作ることができるのは秋から冬にかけての時期に限られています。このような多様な製作行程と特殊な材料を必要とする墨の生産を行っている産地は少なく、現在では奈良墨が日本の生産高の95%を占めています。
工芸品墨の世界
墨は、書や絵画という東洋の芸術を根底から支えるものでもあります。書家や画家たちは、制作の前に硯に向かい、心を澄ませて墨を磨り、それから揮毫していたのです。このため、その時の芸術的な感興を高められるような、繊細な細工が墨に施されることもしばしばありました。現在にもその伝統は受け継がれ、様々な趣向を凝らした、みごとな墨が生産されています。
立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学
提供: ストーリー

【資料提供】
奈良製墨組合

【監修&テキスト】
村田隆志 (大阪国際大学 准教授

【編集】京都女子大学 生活デザイン研究所
和田梓(京都女子大学大学院)& 山村沙生(京都女子大学家政学部生活造形学科) &毛嘉琪(京都女子大学大学院)

【英語サイト監修】 Melissa M. Rinne (京都国立博物館

【プロジェクト・ディレクター】 前﨑信也 (京都女子大学 准教授

提供: 全展示アイテム
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