1989年

マンデラの 10 年

「いかにして囚人が大統領になったか」
1989~2000

はじめに

この展示はネルソン マンデラの人生のなかの約 10 年間を紹介したプレゼンテーションです。歴史の解説という形ではなく、主な出来事を振り返りつつ、画像を用いてその当時の独特の雰囲気と、特に 1990 年代を通して非常に強い道徳的影響力を保ち続けたマンデラの人物像を再認識しようという試みです。

国民的英雄になるずっと前のネルソン マンデラの表情(1941 年)。

1990 年、ネルソン マンデラは 72 歳になっていました。1964 年の収監以降、マンデラは世界中で最も長期にわたり投獄されている政治犯でした。1989 年、マンデラはデクラーク政権との間で身柄釈放の交渉を開始します。獄中生活の間、マンデラは複数の施設に収監されましたが、マンデラの知名度が向上するにつれて生活環境は改善されていきました。

ネルソン マンデラの独房(1971 年)。
ロベン島の刑務所で労役につく服役者(1977 年)

1990 年 2 月 11 日、マンデラは釈放されました。マンデラが収監されていたビクター バースター刑務所の前には大勢の支援者が集まりました。マンデラは刑務所から自身が釈放される様子を全世界に見せるよう要求しました。マンデラは妻ウィニー、自身の家族、そして仲間たちを腕に抱いて再会を喜びました。刑務所のゲートの前で演説したマンデラは、人々の自由を求める闘いを称えました。

私は皆さんの前に、預言者としてではなく、皆さんのための一介の奉仕者として立っています。

1990 年 2 月 11 日、ヨハネスブルクの市民はマンデラの声を聞こうとスタジアムに集結した。
この日、マディバ(マンデラの愛称)の党であるアフリカ民族会議(ANC)のシンボル カラーが自由を象徴した。

ANC、ズールー人のインカタ自由党(IFP)、デクラークとボタの属する国民党との間で、ただちに交渉が開始されました。これは 1991 年 12 月に開かれた民主南アフリカ会議(CODESA)の会合の場で行われました。

CODESA で演説するマンデラ
CODESA での F.W. デクラークとピック ボタ
ブテレジ王子率いる IFP とマンデラ率いる ANC の間の緊張は潜在的な内戦へと発展した。1992 年 6 月にはボイパトンで ANC のメンバーが虐殺される事件が発生した。
マンデラは自制的な態度を示したものの、怒りの収まらないマンデラの支持者たちは、虐殺に加担したとして非難されていた警察と衝突寸前の状態となった。
ボイパトンでは IFP 側によって 41 人が殺害された。追悼の抗議活動を行う ANC のメンバーに警察が発砲する事件が発生した。
警察の銃撃により負傷した男性。
悲痛な夜明け。
ANC のシンボル カラーに身を包んでの追悼
アルバート ルツーリがノーベル賞を受賞(1960 年)
デズモンド ツツがノーベル平和賞を受賞(1984 年)
1964 年、オスロの住民はすでにアパルトヘイトと闘っていた。1993 年、まさにこの都市でネルソン マンデラはノーベル平和賞を受賞。
世界中が注目するなか、1994 年 4 月に初の自由選挙が実施された。
1994 年 5 月、就任式の日: 「虹の国」の喜び

投票日、投票用紙に若くてハンサムな男の写真を見つけたら、その横にバツ印をつけてください。

ネルソン マンデラ、1994 年

就任式でのマンデラ大統領と、デクラーク、ムベキの両副大統領。
マンデラは新生南アフリカの初の黒人大統領となった。この写真は就任初日に大統領官邸のスタッフに挨拶するマンデラ。
ウィニー マンデラは 1958 年にネルソン マンデラと結婚して以来、長きにわたり彼の伴侶であった。この写真は 1963 年の審理にマディバの母とともに駆けつけた際の様子。夫が獄中にあった間、ウィニーは夫のスポークスマンを努めた。彼女自身も収監や拘留を経験している。しかしマンデラ夫妻は 1992 年に別居、1996 年に正式に離婚。
ウィニーは ANC の活動で実力行使を主張した。写真は 1987 年にアルバティーナ シスルと談笑するウィニー。
ウィニーの起こしたスキャンダルによってうわべだけの結束は崩壊した。
共産主義の影響は受けたものの - この写真は 2001 年にフィデル カストロが特別ゲストとして招かれた際の様子 - 1994 年から 1998 年の間のマンデラ政権の政策はよりリベラル志向となり、民営化を社会的支援により埋め合わせるという形がとられた。
1999 年のアル ゴア米国副大統領を含め、世界中のあらゆる有力な指導者たちとの会談により、マディバの南アフリカは国際社会での役割を果たすようになった。

エピローグ

大統領退任後も、ネルソン マンデラは自身の財団を通じて政治活動を続けました。またマンデラはこの時期に私生活でも充実した時を過ごして、1998 年にはグラサ マシェルと結婚しました。 

マディバは現在も南アフリカ政界における中心人物の 1 人です。新しい政治的リーダーたちは皆、常に彼と比較されています。彼は AIDS 対策の遅れを批判しており、人道問題への取り組みを続けています。

2007 年、マンデラは政治活動からの引退を発表しました。しかし 2008 年には、英国で人道キャンペーンへの参加を受諾しました。1988 年にマンデラの解放を求めて開催されたコンサートから 20 年目のことでした。

最後の演説で政治活動からの引退を表明するマンデラ(2007 年)。
2008 年のコンサートでは 20 年以上に及んだ闘いを振り返るとともに、責任を持つことを呼びかけた。マンデラの後ろを囲むのはウィル スミスをはじめとするスターたちと妻グラサ マシェル。

「今、あなた方の手に委ねられているのです。」

ネルソン マンデラ、2008 年
提供: ストーリー

Advisor  — Zénine, Rafik, Audiovisual Director
Advisor — Emma d'Agonssa, Film Critic
Conseiller — Zénine, Rafik, directeur audiovisuel
Conseillère — Emma d'Agonssa, critique de film

提供: 全展示アイテム
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