人々の暮らしに寄り添う器の用と美

薩摩焼には、白色陶器の白薩摩とは趣の異なる、有色の陶土に主として黒や褐色に発色する鉄釉系の釉薬をかけた黒薩摩があります。御用品が主だった白薩摩に対して、実用品として人々の暮らしに寄り添ってきた黒薩摩は、親しみをこめて「黒もん」とも呼ばれてきました。 壺や甕といった貯蔵器、摺鉢などの調理具、碗や皿、鉢、徳利、杯といった飲食器など、生活に欠かせない多種多様な器が作られてきました。
薩摩焼は、慶長3(1598)年、豊臣秀吉が行った朝鮮出兵から島津軍が帰国する際、朝鮮半島の陶工70余名を薩摩に連れ帰ったことに始まります。朝鮮陶工らは、鹿児島市の竪野、日置市東市来町の苗代川、姶良市加治木町の龍門司の3か所に分かれて窯場を形成しました。後には、西餅田(姶良市)、平佐(薩摩川内市)、種子島(熊毛郡)でも作られるようになり、地域ごとに個性のある製品づくりが行われました。
このため、一口に黒薩摩といっても、鹿児島の様々な窯場で作られており、幅広い色と釉技による多彩な製品があります。黒薩摩の生産の中心となったのは、苗代川と龍門司でした。
薩摩焼きっての全国流通品:茶家
黒薩摩を代表する器に、「茶家」(ちょか)があります。茶家とは土瓶を意味する、鹿児島の方言です。「千代香」「猪牙」といった漢字を当てることもあります。現代では、焼酎に燗をつける風流な器として「黒茶家」が知られており、胴がぐっと張った、そろばん玉のような形をしたものが主流です。しかし、この形になったのは昭和に入ってからのことで、江戸時代は丸みのある形が一般的でした。
江戸時代、茶家は薩摩焼を代表する全国流通品でした。火にかけてお茶や薬草を煎じるのに用いられたもので、多くは三つの足がついており、生活に欠かせない日用品として親しまれていました。江戸後期になると、苗代川産の茶家が江戸や大坂など藩外まで盛んに流通するようになり、藩に利益をもたらす重要産品になっていました。
天保4(1843)年、薩摩藩が編纂した『三国名勝図会』にも苗代川の茶家づくりのようすが描かれています。茶家(薩摩土瓶)の広範な流通ぶりを示す絵入り小説が残っています。『東海道中膝栗毛』の作者として知られる十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が、享和2(1802)年に著した『忠臣瀬戸物蔵』です。赤穂浪士の仇討ちの物語『仮名手本忠臣蔵』の登場人物を焼物に置きかえ、おもしろおかしく表現しています。ストーリーは、炭消壺が土瓶に斬りかかる刃傷沙汰となり、炭消壺は切腹、そこで家中の瀬戸物等が仇討ちに立ち上がり、見事、薩摩土瓶を討ち果たすというもの。薩摩土瓶が敵役に抜擢されていますので、江戸の庶民がよく知る器だったことが分かります。
苗代川に伝わる「タタキ成形」
甕や植木鉢など大型品を作るのに用いられるタタキ成形技法は、420年前に朝鮮陶工が伝えました。その技が、形を変えず現代まで伝わっています。江戸時代の焼物づくりについて記した「高麗伝陶器起元製造書」の内容と、現在使用されている道具を比較すると、形・用途・名称がほぼ同じです。 タタキ成形では、まずロクロの上に土のだんごを置き、ロクロを少しずつ回しながら「ビッツツリ」で叩いて、円形の底部をつくります。
器壁は、紐状にした太い粘土を粘りつけるように積み上げていきます。ある程度積み上がると、「トケ」を内側から当て、「シュレ」で外側から叩きながら、粘土を密着させ器壁を薄く整えます。形がほぼできると、「内フッテ」を内側から、「外フッテ」を外側から当て器壁を挟み込むようにしながら凹凸を消し調整します。最後の口作りは、ロクロを足で回しながら成形します。
昭和初期、無名の職人が作る民衆の日用品の中に「健康な美」「平常の美」を見出し、民藝運動を主導した柳宗悦(1889-1961)は「苗代川の黒もんは、日本における民窯の名譽をひとり背負っているの観がある」と評価しました。
龍門司の登り窯焚き
龍門司では、今も地元で採れる昔ながらの原料を用いて、黒釉青流しや三彩をはじめ、珍しい鮫肌や蛇蝎など多彩な製品をつくります。焼成方法も江戸時代と変わらず登り窯で行われ、窯焚きは30時間続き、最高1250℃まで温度を上げます。窯内の製品は、高温にあぶられて25%近く縮みます。龍門司を代表する鮫肌や蛇褐は、登り窯でなくては良い風合いが出ないといいます。
焼成前のカップ。赤褐色の釉薬がかけられています。この原料は地元の田んぼで採れる「がねみそ」という赤茶色の土に、火山の噴火に伴う火砕流が堆積した「シラス」を混ぜて作られます。
焼成前には赤褐色をしていた釉薬は、高温で焼かれて漆黒へ劇的に変化します。
鮫肌
龍門司を代表する技法の一つが「鮫肌」です。高温で焼くときに釉薬が縮む現象を利用したもので、全体に破綻なく細やかな縮れが現れるのが上質とされますが、登り窯の一定の場所でしか焼けない難しい技法です。

明治時代には龍門司の窯場でも輸出が試みられ、鮫肌は「Same-yaki」(鮫焼)の名で,海外でも特に愛好されました。

黒薩摩は、戦後までは黒釉や褐釉、緑色がかったそば釉などの色に限られていましたが、近年ではさまざまな創意工夫がなされ、明るい発色の製品も登場しています。

指宿長太郎窯では、流氷や滝のイメージを釉薬で器面に表現するなど、実に多彩です。

指宿長太郎窯では、流氷や滝のイメージを釉薬で器面に表現するなど、実に多彩です。

しぶきを上げて流れ落ちるや屋久島の千尋の滝を表現。

しぶきを上げて流れ落ちるや屋久島の千尋の滝を表現。

龍門司焼企業組合
龍門司焼の製作工房や登り窯のほか、原料となる土や釉薬を昔ながらの製法でつくる光景を見学することができます。ギャラリーでは買い物も楽しめます。
京都女子大学 生活デザイン研究所
提供: ストーリー

【資料提供・協力】
薩摩伝承館
鹿児島県歴史資料センター黎明館
鹿児島国際大学地域総合研究所
鹿児島県薩摩焼協同組合
龍門司焼企業組合
・荒木陶窯
・指宿長太郎窯
・日置南洲窯

【テキスト》
・深港恭子(鹿児島県歴史資料センター黎明館

【英語サイト翻訳》
・エディ―・チャン

【編集・サイト制作】
・鳥居南早織(京都女子大学生活造形学科
・笠井貴江(京都女子大学現代社会学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也 (京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)


提供: 全展示アイテム
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