雪国に生まれた最高級の夏きもの

雪と水の国
新潟県魚沼地方で生まれた麻織物が越後上布です。豪雪地帯として知られるこの地方では例年2メートル以上の雪が積もります。苧績み(糸作り)から糸の準備、織機の準備、機織りから仕上げと、すべての工程がこの雪国の湿めった空気の中で行なわれなければなりません。つまり、この冬の厳しい気候が、最高の夏用きものの生産にかかせないのです。更に、この地域の雪解け水は、魚沼が誇る最高級コシヒカリや日本酒づくりにも欠かせません。
すべて手作り
越後上布の特徴は、経糸(たていと)も緯糸(よこいと)も、一本一本手作りした極細の麻糸を使っていることです。

地機(じばた)という伝統的な織り機を使い、時に複雑な経緯絣(たてよこがすり)で文様が表現されます。

材料の準備から織りに至るまで、これほど時間と手間をかけて作り出される織物は世界に類を見ません。越後上布が最高級の麻織物といわれる理由です。


苧麻という繊維
上布(じょうふ)というのは、細くて上等の麻布をさす言葉です。越後上布の原材料は、苧麻(チョマ、またはカラムシ)というイラクサ科の多年草。非常に細く長く強い繊維で、色は白く光沢があり、柔軟性の高い特徴を持っています。
雪国織物の長い歴史
越後の国の麻布生産の記録は古代にまでさかのぼることができます。正倉院には8世紀半ばの年記のある越後の「庸布」があります。それが途絶えることなく続き、江戸時代の中頃には「縮」(ちぢみ)が越後の主要産品となりました。緯糸に強撚をかけ、仕上げで縮みを与えるのでこの名前で呼ばれます。寛文年間(1661-1672)に明石藩の堀次郎将俊氏がこの技法方法を考えたとされています。

技術が完成したことから堀は小千谷の町に移り、縮布の生産を現在の小千谷市・魚沼市・南魚沼市に伝えました。享保年間(1716-1735)には十日町では問屋組合が出来たり、大都市の大きな呉服問屋との取引が始まったようです。冬になると縮織りは地域のほとんどのところで織られるようになりました。文化年間(1804-1818)頃までには年中縮を織る村や、男性も縮の仕事をするようになっていました。


一般的に麻類は、湿気があることでしなやかで強くなります。特に極端に細い越後上布用の麻糸は、湿気がなければ織ることが不可能なのです。江戸時代の越後の文人 鈴木牧之(すずきぼくし)の『北越雪譜』の中にも「雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に注ぎ、雪上に晒す。雪ありて、縮あり、されば、越後縮は雪と人と気力相半ばして名産の名あり。魚沼郡の雪は縮の親といふべし」と記されています。

江戸時代から越後上布に使われるほとんどの苧麻は会津地方(現在の福島県大沼郡昭和村)で生産され精製した状態で届きます。
越後の大雪
過去には越後の各地方に雪が家の二階までに積もることは珍しくありません。雪下ろし作業をこの地方では「雪掘り」と呼びます。

雪国の子供はときには複雑な雪トンネルをくぐって通学していました。

苧績み(おうみ) ——極細の糸をつくる
東洋の麻織物の特徴のひとつは苧績みという糸の作り方にあります。西洋の麻紡績の伝統と異なり、麻の繊維の束から細い1本の繊維を取って、指爪で裂いてからもう1本の端と端をなるべく結ばずに繋ぎます。最上級の糸は人間の髪の毛ほどの細さ。この「績んだ」糸を左側におかれている苧桶(おぼけ)に入れ、桶がいっぱいになるまで作業は続けられるのです。

苧を績むには、一本の細く裂いた苧を撚りをかけてつなぐことで長い糸にしていきます。原理は縄の製法と同じです。

正しく績んでいるとこれだけで繋ぎ目(績み目)は外れません。上級な糸になると績み目はほとんど目立ちませんが、機械紡績の麻糸の風合いとはまったく異なります。

麻糸の撚り掛け
近世以前は「ツム」と「ツムマシ」という道具を使って撚りを掛けられたといわれています。その後、これらの道具は「糸車」に変わり、現代では機械にとって代わられました。
機械で撚りを掛ける場合は、ヘソという糸の塊を撚り掛け機に付けて中から糸を出し、上の枠の部分に止めておきます。撚りを掛けながら、糸は綛(かせ)に巻き取られます。
絣模様
手績みの麻糸とともに、もうひとつの越後上布の特徴は、複雑な経緯絣(たてよこがすり)文様です。
絣模様を作る
絣模様を入れるためには製図が必要です。糸の数を計算した方眼紙に模様を描き、それを紙テープに写します。

絣屋では、緯糸を模様のついたテープを平行に張り、順番に墨の付いたへらで、絣模様の位置を糸に写します。その後、綿糸で染めたくない部分を縛る「くびり」作業を行います。くびりは単純ですが高度な技術がかかる作業です。目では追えないくらいの速さで行われ、熟練の職人は1日で2000回くびりを続けることもあるといいます。

くびる場所の両端は墨で印されています。そのふたつのうちの右印の方の近くから、綿糸でくびりを始めます。最後に結んで留めて、右手で持っている鋏で端を切ります。絣糸は染料に浸して染めるので、くびったところだけが染まらずに白く残るのです。

小絣
最も難しい絣は細かい十字絣などの小絣だといいます。製図と同じように模様がおられているのがわかります。このように細かい模様を織りだすには、何千か所の経糸と緯糸の交差に少しのずれも許されません。

現在の文化財越後上布の染めは、ほとんど化学染料によって行われています。しかし、藍などの天然染料を一部に使うこともあります。近世の越後上布の多くは、藍染、もしくは白く晒したものでした。藍を除く一般的な天然染料では、色の定着と発色が悪く、高温の染料と、色を定着させるための高アルカリ性の媒染剤に繰り返し何度も浸けなければなりません。手で績んだ糸は痛みやすいため、簡単に染めることのできる藍以外の色は避けられたのです。

染めあがった絣の糸
模様になる部分は白く残る。その一方、染色時の摩擦で麻糸に毛羽が立っているのがわかります。これらの毛羽は次の工程で処理されます。
糸の処理 ——糸繰り
染などの摩擦によってでた毛羽を取り除き、糸を織ることのできる状態にするには様々な処理が必要です。最初は糸繰りと呼ばれ、染まった糸を綛から糸枠(グル)に巻き込む作業です。職人は糸を軽く指の間に通し、傷んだ糸や毛羽を切り取り、一本一本の糸をここで修理します。
糊付け
越後の「糊付け」工程には根気と手間がかかります。これは越後でしかできない薄い上布を作る秘密のひとつでもあります。他の麻布生産地のように、綛全体を糊に沈めたり、織る前の整経した経糸全体に糊を塗ったりはしません。整経する前に、糸を一本ずつ糊に通してつけます。こうすると糸に負担をかけず、強く滑らかにすることができるのです。

糊付けに使うのは、柳海苔と呼ばれる布海苔と小さめの鍋です。糸を糊に通してから余分な糊を擦り取るために、棒に古い布団等の綿を巻いて糸で縛ったものを用います。糊を通した糸の端をザクリ(綛繰り機)とよぶ枠巻具に結び付けた後、右手でハンドルを回します。左手は人差し指と親指の間に糸をはさんで、糸繰りと同様に手を左右に振り動かします。

機伸べ(整経)
越後では、糸の長さを揃える整経作業を「機伸べ」と呼びます。糸を3丈3尺(約12.5メートル)という長さに整経します。越後上布はこのように、一反ずつ個別に整経するのです。
筬通し
筬通しとは、布の丈に揃えた糸を順番にの布幅まで広げるという作業です。筬は竹でできており、通しながら整経された経糸を固定するために上に重りをのせます。
へ掛け
越後上布で使う地機には、綜絖が付いていないため、毎回経糸を準備すると一本の糸綜絖を作らなければなりません。この綜絖はアソビや綾とよばれ、経糸の上糸下糸のうちの、下糸だけ、つまり経糸を一つ置きに上げます。この作業は「経(へ)掛け」とも呼ばれます。へ掛けをするには、二人の手仕事が必要です。へ掛けが終わったら、長い機に掛ける前の準備がほぼ終了。いよいよチキリを機にかけ織り始めることができます。
機織り
伝統的に越後上布の織り手(織子)は、機屋の注文を受けて冬季に自宅で機を織ります。越後上布に使われる機は、過去、居座機ともよばれた後腰帯のついた地機。越後地方では、後腰帯はシマキと呼びます。毎回機に上がる時、この後腰帯を腰に当て、紐でをカラスグチという布巻棒の両端に巻きとめます。カラスグチは斜めにならず、まっすぐ巻くことが重要です。
刀杼
失敗を避けるために大切なことは、一度織り始めたら、なるべく長時間作業を続けるということです。必要な道具をそろえて、機の近くに置く。地色、絣、縞など複数の緯糸がある場合は、複数の杼を使います。他には、緯糸の糸管、はさみ、糸を湿らすためのスポンジ、縫い針なども使います。
麻糸は乾燥するともろくなり、切れやすくなります。織りながら切れた糸はすぐに繋ぎ直さなければ、織った生地にキズが付きます。経糸を直すには、弱い部分を全部切り取り、直し糸を機結びでつないで直します。

織りながら、絣の位置を常に指で調整しなければなりません。

足踏み
織り上がった反物の糊を落とし、布目をつめ、更に柔らかくするために、ぬるま湯を入れた「踏桶」に反物を入れ足で踏みます。天井からつった2本の縄の輪に手・腕を差し込み、縄に体重を掛けながら、両足で布を回しながらまんべんなく踏みます。20分位の足踏み後、水洗いをします。
南魚沼の代表的な景色として知られる雪晒しは、越後上布の最後の工程です。2月後半から3月にかけて、雪でおおわれている田んぼに上布を広げます。良く晴れた日の朝9時頃から夕方4時頃まで行う。白地の反物は漂白されて布目が更に詰まり、色地の反物も布の風合をよくなります。天気と反物の様子を見ながら、白地の上布は5日から10日間ほど、色物を3日から5日間ほど雪に晒します。古くなった、また汚れた上布の着物も雪晒によって美しくよみがえります。
越後上布は小千谷縮布と共に、昭和30年に国の重要無形文化財に指定されました。さらに平成21年には、ユネスコの無形文化遺産にも指定されました。この伝統が現在も続いている理由のひとつに伝承者養成事業があります。越後上布・小千谷縮布技術伝承者養成講習会の苧績み部は昭和42年に開講。織り部の「100日講習会」は、昭和48年に始まり、現在は毎年文化庁の補助を受けて、越後上布越後上布小千谷縮布技術保存協会が運営しています。毎年4~5名程度の講習生を受け入れています。
京都女子大学 生活デザイン研究所
提供: ストーリー

【取材協力】
・越後上布小千谷縮布技術保存協会
十日町市博物館
鈴木牧之記念館
・瀧右衛門 本田織物工場
・小河織物
・古藤政雄
・絣 小河信久
・大谷徳子
・山内景行

【画像提供】
・越後上布小千谷縮布技術保存協会
十日町市博物館
鈴木牧之記念館

【動画】
・佐野真規(東京文化財研究所

【監修・テキスト】
・マリサ・リンネ(京都国立博物館

【写真】
・マリサ・リンネ(京都国立博物館
・前﨑信也 (京都女子大学 准教授
・佐野真規(東京文化財研究所

【サイト編集・制作】
・杉島つばさ(京都女子大学生活造形学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也 (京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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