天野プレコロンビアン織物博物館の常設展がご覧頂けます。

世界各地の織物の起源
人間が衣服をまとう本来の目的は、過酷な気候から身を守ることにあったと考えられています。旧石器時代(紀元前2万年)にはすでに、骨製の針で動物の皮を縫っていたことがわかっています。やがて縄をねじって編むようになり、これが最初の布となったのです。時期に差はあれ、世界各地でこうした技術発展がみられます。 ペルーでは1万年ほど昔、堅い植物繊維を用いてカゴを作っていました。まだワタが材料として使用される前のことです。
古代の織物と神々(紀元前3000年~紀元前1200年)
ペルー北部海岸地域で、紀元前2500年ごろの織物が見つかっています。ワタを材料とするこの織物には複雑な文様が表現されており、この時すでに高度な技術があったことを示しています。また、メキシコとペルーが南北アメリカ大陸におけるワタの原産地と考えられています。織機の発明は、織物の発展にとって非常に画期的な出来事でした。これにより複雑で緻密な構造をもつ織布をつくることができるようになったのです。平織の織物には着色することが可能で、様々な幾何学文様が発展していきました。その後動物や、さらには神のような複雑な図像をも織りであらわすことができるようになりました。これらはすべて多様な緯糸の利用によって可能になったことなのです。

織により表現された古代の神の顔

宗教の発達と神々(紀元前1200年~紀元前100年)
当時の宗教は、神官たちによって体系づけられていました。彼らは植物がもつ幻覚作用を使って、恵みの雨や豊穣など多様な要素を司る神々を生み出していきました。 (Stone-Miller; R. Shultes & A. Hufmann; L. P. Kuist & M. Moraes; F.J. Carod- Artal, C.B. Vásquez – Cabrera)
織物を通して広まった神々の存在
手描き染めの織物は宗教の教義を伝える手段として、あるいは特別な儀礼の衣装として使われたと考えられます。織物は折畳んでしまえば輸送するのも簡単なので、各地域で土器、干し魚、貴石、染料などと盛んに交換されていたことでしょう。(A. Cordy-Collins)

平織にネガティブ技法による手描き染めが施されています。おそらくファルド(埋葬用包み)のためのマント、あるいはチュニックやウンク(貫頭衣)といった衣服の一部だと考えられています。

パラカス 砂漠の織手たち(紀元前800年~紀元後200年)
古代ペルーの南部海岸に発展したこの社会は、イカ地方の河谷に定住していた様々な集団で構成されていました。この社会ができた頃、パラカス文化はチャビン文化の伝統的な宗教から影響をうけていましたが、その後徐々にパラカス独自の伝統儀礼が新しくつくられていきました。パラカスの織物は砂漠の不毛さとは対照的でとても色鮮やかなものです。 (H. Silverman, E. León, S. Massey) パラカス文化の人々は、先スペイン期から現代に至る染織技術のほとんど全てを発展させました。当時、織物に用いられる繊維や技術は、それを着る人の社会的役割や地位を示すものでした。

強い色調で糸の絡み合わさる様子を表現しています。デザインだけでなく実際に、糸と糸とを絡み合わせる、編み紐を作るための技法を用いて作られています。

伝統の継承
熟練の職人と見習いが一緒に刺繍をしています。このようにして技術が次の世代に継承されていったのでしょう。 (M. Medina)

平織の大型マントの刺繍。先祖と思われるドクロの人物が描かれています。

平織の大型マントの刺繍。神に捧げるための人間の首を表したもので、この文化において典型的なデザインです。様々な刺繍の技法がこの一枚に凝縮されています。

刺繍で表現された神々
パラカスの人々は様々な神々と精霊を崇拝していました。こうした超自然的存在はチャビン文化の宗教に影響を受け生まれたものでした。 織物に描かれた人物は神や精霊に扮しており、自分が支配者の地位にある者であることを示しています。パラカス文化の前期、カベルナ期においては幾何学的なデザインが多くみられ、 (J. C.Tello) 後期にあたるネクロポリス期では神々の姿の表現がより緻密で複雑になっていきます。パラカス文化では様々な表現方法が共存していたのです。
ナスカ パラカス文化の継承者(紀元前200年~紀元後600年)
現在のペルー南岸、イカの砂漠に栄えたナスカ文化も織物と土器の発達に重要な貢献を果たしました。カラフルに彩られたこれらの作品はパラカス文化の影響を受けたものです。この文化においては新たなデザインとしてペルー西岸の砂漠地帯でみられる植物(花、マメ、イモ)や動物(シャチ、キツネ、サル、タカ)が用いられるようになりました。また神々は人間とネコ科動物あるいはタカなどといった動物と合体した姿で表現されました。幾何学的で、角ばったデザインが印象的です。

平織のマント。ブロケードで、鳥や羽をもった生き物、カエルなどの動物をかたどった幾何学的な装飾が施されています。

ナスカにおける織物の技法 絞り染め
これは古代ペルーに生まれた技法の中でも特に印象的なもののひとつでしょう。日本をはじめとして、世界の他の地域にも存在するこの「絞り」は、織物を水性の染料に浸して染める前に、そのデザインに応じて織物の一部を糸で括って防染するというものです。

ナスカの貴族を表した土器です。両手に権力の象徴である人間の首を持ち、シャツの上にはマント、頭にはターバン、下半身にはふんどしを身に着けています。

ワリ アンデス最初の帝国(紀元後700年~900年)
ワリ社会は、ペルー南部山岳地域(アヤクチョ)を中心として発展しました。彼らは新しい信仰の体系をつくり、それは現在のペルーのほとんどの地域に普及していきました。ワリ帝国は、その宗教的権威を利用して広大な領土を征服していきました。そしてそこに石造りの都市を建設し、祖先崇拝の儀礼をおこなうための大規模複合施設を整備しました。同様にして、ワリは主要な道路網を建設し、それは後にインカ道(カパクニャン)となっていきました。(D.Bonavia 2006; M. Benavides 1999)

ワリ貴族が儀式で用いたストライプのチュニック。中央部に左右対称に羽根をもつ神が配置され、斜め同士で色が一致するようにデザインされています。

ワリのチュニックによく見られる台形による構成で、このように解釈されます。人間の顔と、波と階段が一つの紋章のように表現されています。

ワリの貴族を表した土器です。杖を持った神のポーズをとっています。頭には四つの突起のある帽子を被り、帯模様のあるチュニックをまとっています。手には杖を持たせることができるよう穴が空いていますが、この杖については見つかっていません。

ワリ貴族が用いたマント、あるいは壁掛け。経緯不連続織と絞り染めの技術が用いられています。

インカ以前の王と首長たち(紀元後900年~1100年)
宗教や組織形成の面で各地に大きな影響を残していったワリ帝国。それが消滅したのち、各地に地方王国が形成されていきました。その地方王国として、北部にはモチェ文化の末裔であるランバイェケやチムー、中央部にはチャンカイ、イチマ、ワルコ、チンチャ、南部にはチュキバンバ、チリバヤ、キルケがそれぞれ発展しました。遠距離交易と大規模な資源管理システムがこの時代の特徴と言えます。
チャンカイ文化(紀元後1100年~1400年)
チャンカイ文化はペルー中央海岸で発展しました。紀元後900年以降に織物や土器づくりに長けた、穏やかな民族として急速に発達し、地域首長社会を形成しました。 この文化の織物の多様性には目を見張るものがあります。捩り織、網状組織、チャンカイレース、二重織、綴れ織、縫い取り織、刺繍、絞り染め、手描き染め、鳥の羽根を織り込んだ織などが特徴的な技法として挙げられます。また、多くの文様が考案され、人々の生活の様子を表した立体的な造形も織物でつくられました。

チャンカイ文化のマント。レティクラードと呼ばれるこの文化を代表する技法を用いて作られています。平行して並ぶ縦糸に二本一組の横糸を絡めて括っていくことによって網状の組織が出来上がります。この組織の上に刺繍で、波立つ海の中を泳ぐ魚たちを表現しています。

チャンカイレースの断片。鳥とネコ科動物がデザインのモチーフになっています。こうしたレースは身に着けた人物を悪霊から守ると考えられていました。

腰に巻いて使う織機(腰帯機)。チャンカイの織工が技術を教えるために使用していたものです。緯糸の配置から、生徒の腕がまだ未熟であったことが見て取れます。様々な様式を教えるため途中でデザインが変わっています。

チャンカイの織物作品の中には、織物製の人形もあります。こうした人形を用いて作られたジオラマは当時の生活のようすや儀式を知るための重要な手掛かりとなります。

チムー王国(紀元後900年~1470年)
モチェ文化をルーツとするチムー王国は、高度に組織された社会を作り上げ権勢を誇りました。紀元後900年ごろから1400年ごろまでペルー北部で栄え、土で築かれた古代ペルーの都市の中でも最も規模の大きいもののひとつに数えられるチャンチャン遺跡を建設しました。この都市は周囲を大壁が囲い、9つの宮殿から成っていました。各宮殿には広場や倉庫、謁見の間、ピラミッド型建造物がありました。そしてそれらの周囲には農民や生産者たちの居住区がつくられました。チムーは北部へ農地を拡大させていき、ランバイェケ文化など他地域を支配していきました。 金属工芸の工人や織工たちはチャンカイやカハマルカなどの様々な首長たちと密接な関係をもっていました。

チムーの貴族が特別な儀式で着用していた衣服。恐らくはその人物の墓の副葬品だと考えられています。平織、ブロケード、捩り織、房飾りの技法が用いられています。海鳥がくちばしにトカゲをくわえているところを表現しています。

チムーの王たちが着用していた衣服は主に被り物、貫頭衣、はきもの、の3つに分けられます。ターバンや帽子などの被り物は、頭飾りがずれないようにするためにかぶるもので、大抵は二本の帯状のものが両耳側に下がっていました。貫頭衣は肘にかかる程度の袖をもち、はきものは装飾が施されたスカート型、また褌もありました。時として腕輪、金属製のすねあて、冠なども身につけていました。これらの衣服は、もっとも繊細に紡がれた糸、選りすぐりの職工たちによって織られたもので、チムー世界の他の階級の首長たちの衣服とは区別されていました。 これらの貫頭衣(ウンク)にみられる文様は王が着用するあらゆる衣服にみられ、その強大な権力とチャンチャンの宮殿での地位をあらわしていました。またこの時代、王たちは土器にも描かれました。
インカ帝国とその組織
一地方集団だった初期から、インカ帝国は隣接する集団と巧みに関係を作る術を知っていました。平和的な同盟関係をつくり、様々な民族の首長たちと姻戚関係をつくっていきました。そして、外交や戦いによって他の民族を短期間のうちに統合していきました。インカ帝国は複雑な社会システムによって支えられ、インカ王(サパ・インカ)を頂点にして相互依存の関係をつくっていました。同様にして、カパクニャンとして知られる広大な道路網がインカ帝国の経済と権力を支えました。

インカ貴族の衣服。デザインに用いられている模様は「インカの鍵」と呼ばれており、固有の意味を持つデザインとしては初期のものの一つです。おそらく天上世界と地上の二元性とインカ世界における四つの地域を表していると考えられています。

天野プレコロンビアン織物博物館のご案内
ペルーの首都リマにあります天野プレコロンビアン織物博物館ではプレインカ時代の織物約300点を展示しており、アンデスの織物の知識の普及のため広く一般に公開しております。皆さんのご来館をこころよりお待ち申し上げております。
天野プレコロンビアン織物博物館
提供: ストーリー

展示デザイン:
天野プレコロンビアン織物博物館

財団長 / 館長:
マリオ・アマノ / ミカ・アマノ

学芸員:
ドリス・ロブレス / ブルーノ・アルバ
監修:
マリベル・メディーナ / ブルーノ・アルバ / ドリス・ロブレス

グラフィックデザイン:
WUD

映像:
ミトラマスタジオ

写真:
天野プレコロンビアン織物博物館

提供: 全展示アイテム
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