800年守られてきた文化その伝統と技法

沿革・由来
川連漆器の起こりは約800年前の鎌倉時代にさかのぼる。 鎌倉幕府は1193年、小野寺氏を雄勝の領主として任命し、現在の湯沢市稲庭町に城をかまえた。 それから3代後の領主、小野寺重道の弟道則は1197年、現在の湯沢市川連町の古四王野尻に大舘城を築き、家臣に武具に漆を塗らせたのが始まりと言われている。

慶長年間に入ると、城下の士族の内職として椀などの日常食器の生産が盛んにり、藩の庇護をうけながらも、商人らが漆器産業の育成に努めた。特に、万治年問には佐藤四郎右衛門が川連漆器の庇護者となり、文化・文政年間になると豪商高橋利兵衛は、京都から材料を仕入れ、販路を他国にも拓くなど藩の植産政策のもと椀、繕,重箱など幅広い漆器が作られるようになった。

天保年間(1830-44年)には会津から指物師桜田門兵衛を当地に招聘し、板物の加エ技術が飛躍的に向上した。嘉永2年(1849年)には角田東斉が会津から蒔絵技術を伝え、加飾技術も確立されてきた。

明治期(1868-1912年)に入ると、漆器産地としての基盤ができ、中央から講師を招くなどして技術、意匠の発展向上がなされた。さらに商業的な指導も受け販路が拡大していった。大正期(1912-1926年)になると、鈴木式ろくろが導入され、挽物の枝術と生産性が飛躍的に向上した。一方、明治43年(1910年)、日英博覧会に出展するなどヨーロッパを中心として海外進出も盛んに行うようになった

木地
漆器の元となる素地には、その用途によって使う種類が違います。椀や鉢などの丸物にはブナやトチの木が使われ、重箱などの角物にはホオノキなどが使われています。近年では、ブナ等の広葉樹木の入手が困難になってきているという問題がありますが、軽くて丈夫な原木から切り出される木地は川連漆器に無くてはならない技術として受け継がれています。

椀など、ロクロや木工旋盤を用いて削り出されるものを「挽物」(ひきもの)といいます。原木からおおまかな形を取った木取を行い、おおまかに荒挽します。製品後に狂いが生じないよう十分な乾燥時間を経て、仕上挽を行います。

 木は切られた後も生き続けているので、乾燥具合によって狂いが生じたり、木取りや木目を誤ってしまうと、良好な仕上がりが期待できなかったり、製品の強度そのものに問題が生じてしまいます。そのため、常に木の持つ特性や表情を的確に捉える経験が重要になります。

塗り
漆の木から取れる樹液、その塗料は様々な化学塗料や合成塗料が発明される中にあって、未だにその仕上がりの美しさ、堅牢さにおいて最も優れた天然塗料を呼べます。耐熱性、耐薬性、耐油性などに優れているだけでなく、独特の光沢と美しさを持っています。化学塗料は、揮発性のシンナーなどが蒸発して乾燥するのに対し、漆は天然の酵素の働きで、塗られた後に自ら乾燥していきます。

 川連漆器の塗りは、地塗りと呼ばれる柿渋と生漆を直接塗って研いでは塗るという工程を繰り返す技法から始まります。仕上がりに向けた下地作りで製品の持つ堅牢さの秘訣です。

 さらに中塗りなどの工程を経て、本塗りを行います。本塗りには「花塗り」を持って完成とされます。花塗りには、「塗り立て」ともいい、刷毛のあとを出さず漆を均等の厚さに塗る熟練した技術を必要とする方法です。

沈金
漆器に華を添える加飾の一つに沈金があります。沈金は四季折々の草花や鳥などのデザインが施され、製品に趣を与えます。光沢のある金箔などの表情をそのまま漆器に移す技法で、漆器の美しさを引き立てます。

 これは塗装された漆器の表面に点や線、模様を鉋を用いて浅く彫り、彫った部分に生漆をすりこんで金箔を置きます。また、金粉、朱、青そのほかの漆粉を蒔くものもあります。

 沈金彫は川連漆器の得意とする独特の加飾技法で、その特徴は鉋を手前に引いて彫る動作が基本となり、毛彫りと言われる細かな作業は他の産地とは彫る動作に大きな違いがあります。

蒔絵
川連漆器の蒔絵技術は、稲川町史に残る3偉人の中の一人である高橋利兵衛の大きな影響があり、江戸時代(1830年)に氏が京都より金箔や銀箔、絵筆などを移入したことから始まりました。その後、1848年に会津の蒔絵師角田東斉(林香軒)を招いて当時の絵師五兵衛(加藤家)等数名に新技法の「盛蒔絵」「高蒔絵」「金蒔絵」を伝授させ、さらに明治に入ってから数名を派遣し、平極丸粉を使う技術を取り入れました。

 大正時代に入ると、沓沢利兵衛が県の派遣生として東京美術大学校図案科に入学するなど、蒔絵に対する関心や技術が高まってきました。

 下絵付けした模様に平描漆で模様をなぞり、内部に粉を蒔き、さらに細かい葉の筋などで蒔絵筆で加工し仕上げることから蒔絵といいます。

椀師作業工程絵図
椀師作業工程絵図は、1827年~1832年頃に木地師佐藤五郎右衛門によって描かれた椀師の作業工程である。 椀作りを専業とする川連の椀師は、全行程を一家で行っていた。 

一号 奥山の形木伐り

椀木を切り出しているところ。
奥山とは皆瀬の山を指す。

二号 形木流し

奥山から切り出した材木を川に流す。

三号 漆かき

漆の採集

四号 大切引

だいたいの椀の原形をとる。

五号 三人木地打ち

右)- すぎきりの作業。四隅を切ること。
中央)- 椀の形をとる。
左)- 椀の中を削る

六号 木地挽き

ろくろとしては、一番古い形のもので行われている。

七号 あらけずり

挽いた木の「ろくろの刃」の痕をとる。

八号 四人ハタケ

ハタケまたはハダケは、「削り取る」の方言。

右の二人 – かんなを使って、椀のざらつきを削り取っている。
右から三人目 – ふちきりと言い、椀の高さを揃える。
左 – くろくり、こくそめを言う。漆、木屑、ごはんを合わせたもので、椀の欠けた部分を治す。

九号 小クソ払

八号の行程でつめたものの余分な部分を落とす。


十号 柿トキ

渋柿と炭粉を混ぜたものを塗る。

十一号 俵擦り

十号で塗ったものを束ねた藁で磨く。


十二号 地塗り

生漆を直接、地塗り刷毛(馬の尾の刷毛)で塗る。

十三号 カラトキ

地塗りした椀の内側を砥石で磨く。14号の作業も含めてカラトキの作業。


十四号 ろくろ掛け

ろくろに砥石をつけて、椀の外側を磨く

十五号 漆クルメ

上塗り用の漆を作っている。


十六号 漆シボリ

漆を漉してゴミを取る。薄い和紙を15枚くらい重ねて漉す。

十七号 上塗師

上塗り作業の様子。


十八号 蒔絵書き

蒔絵作業の様子。

第十九号 椀売捌処

椀師の家に製品を買いに来ている様子。

秋田県庁
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