備前焼の歴史と特質
備前焼は須恵器系の焼物といわれている。そこに源流をたどれば5世紀のことであるから、1500年の歴史を有している。その後、より白い須恵器を目指して備前には「寒風須恵器」が生まれ、愛知県には「猿投」が生まれた。その2つは、わが国最初の白い肌に薄緑の美しい自然秞を被った先端的須恵器の窯業地帯となった。両者はわが国のシェアを独占的に2分するものであった。それが7、8世紀の飛鳥、奈良時代である。

平安時代末期になると律令制が崩れ、わが国に初めて商業が生まれる。自由な経済と流通が開始されると、全国の窯業地帯は自由経済の中で主産地形成が起こった。それが中世としての鎌倉時代には六古窯への集約となった。

今から800年前の平安末から鎌倉初頭にかけて、もたついた備前を置き去りにして中世古窯の常滑、瀬戸美濃、渥美、信楽、越前、丹波は常滑連合軍団として大発展を遂げた。

やおら室町時代初期に秘策(耐火度1200℃しかない備前が長時間焼くことで1250℃の常滑等を上回る硬さを実現)を手にして立ち上がった備前は当時の京畿という日本経済活動の最大の消費地で全焼物の85%のシェアを獲得して、常勝常滑連合軍団と首座は入れ替わった。続く茶の湯の文化の時代でも、備前は中心的地位を守った。


江戸時代になると、幕藩体制の中で、藩主は域内の産業重視やら、台カンナの発明で木の桶樽がなどが備前の独走に待ったを掛けることになり、備前は再び勢いを失い、昭和の時代まで音無しの構えになった。戦後の高度経済の成長や六古窯を中心にした桃山への回帰運動の中で、隆盛となったものの、今はどの産地もかなり厳しい状況が進んでいる。

制作工程

粘土採掘現場(何千年も前は海であった地表から3mのところで黒い粘土を掘りだしている)

粘土水分調整(水で良く溶かした粘土を素焼きの器に入れ、ゴミの入らないように布で包んだまま水分を蒸散させる工程)


人間国宝伊勢崎淳の菊練り

人間国宝伊勢崎淳の茶碗ロクロ成形


作品群(作った作品を棚に並べて乾燥)

緋襷用稲藁(緋襷文様をふわりと優しく器面に印象させるために砧で叩いた後に日陰で乾燥させている)


半地下式穴窯


古備前が内包する6つの特徴
備前焼は源流とされる須恵器の時代以来、日本の焼物の中で最も長く全体を見続けて来ただけでなく、最も振幅激しく絶頂と、どん底を体験。また多くの有名産地が破綻したり、施秞に走っても、備前は決してギブアップすることなく、したたかに生き延びた異例の焼物である。このような最古参の歴史を持っているだけに、各時代と連動して栄枯盛衰を見事に写している。それこそが「時代がモノを作るのであって、モノは決して作者が作るものでは無い」ことを長年にわたってモノすなわち文化財に携わってきた私から見れば確信して云えることである。そうした観点から、備前焼のエッセンスというものをまず最初に私から読者に示しておきたい。備前焼の特質は「力強さ」と「大らかさ」、「優しさ」、「潔さ」、「繊細さ」と「したたかさ」を持った焼物である。備前焼のこうした特質は、何処から来たかというと、これこそ正に絶頂と、地獄がドンデン返しのように何回かその身の上に起きて、その時々に備前焼に刻み込んできたからである。 「力強さ」は備前の独壇場となった三石入り大甕を見れば分かるが、それだけではない。それ以前の飛鳥白鳳時代に羽ばたいた寒風窯は、より白くて美しい須恵器で猿投と全国の市場を二分しただけではなく、鴟尾や大壺など大型のものは寒風の独壇場であった。「大らかさ」は、台所の隅に忘れおかれても平然とし、いきなり大茶会に呼び出されてもちゃんとその場に納まっている焼物であって、そのものが持つ使命だけであるとか、その時だけの使命に囚われていない。愛くるしいような「優しさ」は、何も加飾していないのにあの掌に収まって心底愛おしまれ、心が直に通うお預け徳利を見れば良い。「潔さ」はもちろん、作り人の仕事は窯に入れるまでで、そこから後の半分は全く神の領域にまかせて炎の舞いが焼き着けた衣装をまとって出てくるのをじっと待つ。何処にもない備前の作者人生楽しからずやである。「繊細さ」は持つ人の心に合わせて、鑑賞の世界でドラマを無限に用意してくれるなど、とても繊細さがなければできるものではない。また紅を差した女性の生きた肌のような緋襷の美しさは中世古窯の中では比肩するものが無い。「したたかさ」は云わずと知れた、どのような危機に直面しようと必ず、その倍返しのようにやおら立ち上がってくるところである。これらは本当は戦闘的ではなく、時代の要請に応えるように、多くの庶民に求められて出て行くのであった。時には自信に満ちた顔、またある時には全く自信を失ってうろたえているどん底の顔をその都度作品に当然のように映している。時代の勢いはモノに正直に投影されるものであることから、それを鑑賞する心の幅を持って貰えれば、人間のあるべき本質のようなものにきっと触れられると思う。日々の生活に疲れた時こんな近くに、自分と直ぐ隣で共鳴しながら、人生について哲学書を読む以上に時代を超えてかくも簡単に教えてくれるものはないのではないかと思っている。
人間国宝 伊勢崎淳の作品にみる備前焼の特質
不思議なことに、伊勢崎淳先生は個々のどの作品を通じても、以上のような「備前の伝統的で本質的な特徴」が見られるだけでなく、全てを通して見てもまたこれほど備前の特質を作品に保有させている作家はいないのではないかと思っている。伊勢崎ワールドを通してそれを見て貰うと、備前焼とは何かのそのエッセンスを直感的に理解して貰えるような気がする。歴史に起こったことを、その時代毎の文化の中に溜めていくと、必然的に相反するモノによって発酵状態となり、格闘の末、全く違った「輝き」を持つようになる。それがその時新しく生まれたその時代の「文化」かも知れない。またそれは次の世代の栄養となって新しい輝きとなって、肉体とも精神とも区別出来ないところで、遺伝子となってより強固に次の時代の生命になっていくのではないか。不思議なことに、伊勢崎先生ほどすべての作品に無意識のうちにその特徴をにじみ出させている作家はいない。伊勢崎淳先生の作品にはそうした備前の特質が常にどの作品の中にも、もちろん全体を通しても入っているところが尋常ではないなと私は気付いているのである。そこを是非見て欲しいと思う。きっと誰でもが備前焼の中に時代との長い関係で生まれた本質を見てもらえると思う。必ずや備前焼に今までと違った魅力を感じて貰えるはずである。これは陶芸の歴史が古代から現代まで唯一途切れることも、変容してしまうこともなく、焼物の世界を貫き通したバックボーンのような存在である故に放つ崇高な輝きではないかと思っている。そして命脈の衰えない備前の伝統とはこのようにして生まれるに違いないと思う。

色調の柔らかい優しさと胡麻、ほのかな赤と白く抜けところへのグラデーションは繊細で神秘的


中世の頃は窯の内部は斜面になっていた。そのために徳利が下へ転ばないように小壺などを上方へ倒して被せていた。中世の物は例外なく斜めに被せ痕が残っている。船徳利とも呼ばれ、船が揺れても転ばない優れものであった。古い時代ほど底径が大きい。

備前の生命である窯変というのは本来偶然の産物であったが、桃山を過ぎた江戸初期頃から作為であるのだけれど、作為を感じさせないで窯変をコントロールするようになってくる。作為が見破られるようであれば嫌味となるし、それがなければ神業となる。その時絶妙の繊細さとして、風に垂れたような緋襷がパーフェクトに片付けている。

備前の土の重厚さを一層還元させて不気味なほど不安さと隣り合わせの黒として重厚で力強い茶碗に仕上げている


恐らくこのシリーズでは極限まで人体を単純化して表現したものであろうが、その形の上にこともあろうに無いはずの顔と首と胴の形に印象されて、全く偶然に『ひと』となっている傑作である。神の手で生まれたような傑作

花を入れると、どんな花でもきっと活かし切り、花を支えた花入れも花瓶と共にボッと炎上しそうな器である。刳り抜いた穴も、本体のくねりも、上下の窯変も炎そのものである。後は炎上を待つだけという潔さか

緋襷用に敷いた藁がまるで田植えした後のようにそこに根付いているのでは無いかと思われる不思議な精神的自然さが芽生えるようだ


圧倒的重量感が、思い切りの良い刀使いで、重たいのに何処かへ飛んで云ってしまうのでは無いかという勢いに満ちているから、絶対的勢いがある


畳んだ紙を伸ばしてバリバリと広げたような大きな永遠の展開性がある


何事にもこだわらない、ゆったりとした大らかさが良く表現出来ている


圧倒的に巨大な花生であるが、それなのに実に優しいし、文様はこの上なく美しい。角な叩棒で力強く叩いてこのように優しさを出せる芸術は決して反発しない粘土という時期を経て生まれる陶芸しかないだろう。陶芸とは従順さとしたたかさの心の中の綱渡りである


圧倒的力強さと神秘性に充ち満ちている。伊勢崎淳には意のままにならないものを意のままにするのはここまでであるとのご託宣が聞こえたかも知れない


京都女子大学 生活デザイン研究所
提供: ストーリー

【監修・テキスト】
・臼井洋輔

【資料提供・協力】
岡山県立博物館
備前市備前焼ミュージアム

【英語サイト翻訳】
・エディー・チャン

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也(京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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