紀元前202年、「楚の項羽」と「漢の劉邦」が争い、両者の戦いは幾度もありましたが、必ず項羽が勝利していたので、覇王と呼ばれていました。
しかし、その戦況が徐々に逆転し、ついに該下の地で、援軍の寝返りにより四面楚歌となり、七十戦無敗を誇っていた項羽も窮地に立たされていました。自分の最期が近いことを悟り、軍営の中で愛姫の虞姫と別れの杯をかわし、その時詠った歌が有名な「該下の歌」です。
項羽は何度も「該下の歌」を詠い、愛姫と愛馬の騅を思い、涙を流したといいます。
虞姫は、自分が項羽の足手まといになると思い、見事な剣舞を舞ったのち、一瞬の隙をつき、果ててしまいます。
悲しみにくれた項羽は、馬に乗り、囲みを破り、烏江にいる亭長をたより南下しました。
しかし、亭長に河を渡り逃げるようにすすめられますが、それが罠であることを知った項羽は、「天が私を滅ぼすのだ、どうして私が渡れよう」と断わり、愛馬の騅を亭長に渡し、漢の劉邦軍を迎え撃ち、壮絶な戦いになりました。
怪力の項羽は、敵兵を馬上より叩き落とし、その馬を頭上高く持ち上げ、敵陣の真中に投げ、威嚇したといいます。
最後まで力のみを信じた生涯でありました。
「該下の歌」
力拔山兮氣蓋世(力は山を抜き、気は世を覆う)
時不利兮騅不逝(時利あらずして騅逝かず)
騅不逝兮可奈何(騅逝かざるを如何せん)
虞兮虞兮奈若何(虞や虞や汝を如何せん)