19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンでは新しい芸術のありかたを創造しようとする動きがウィーン分離派を中心に起こった。その流れを受け、1903年に設立されたウィーン工房は、「万人のための芸術」をモットーに、生活すべての場に新しい芸術を浸透させることをめざした。芸術と生活の美的な融合を目指した同工房は、建築空間からそこで使われる家具、什器、衣服までトータルにデザインした。1911年エドゥアルト・ヨーゼフ・ヴィンマー・ヴィスグリルがモード部門を設立。続いてテキスタイル部門も創設された。
1915年よりウィーン工房の中心的な出資者となったオットー・プリマヴェージとその妻ウージェニーは、同工房の中心人物であったヨーゼフ・ホフマンに、チェコスロバキア、モラヴィアに彼らの別荘を造るよう依頼した。プリマヴェージ夫妻は、ホフマンを通じてグスタフ・クリムトを知り、クリムトは頻繁に彼らの別荘を訪れている。本作は、プリマヴェージ家が所有していたものであり、このようなカフタンは、彼らの別荘を訪れるアーティストによって着用されていたのかもしれない。テキスタイルのデザインは、ウィーン工房のデザイナー、ダゴベルト・ペッヒェ(1887-1923)によるもの。ほぼ正方形のテキスタイルを2枚接ぎ合わせたきわめて単純な構造の衣服であるが、堂々とした風格すら感じられる一点である。