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豊臣政権が宗茂の領国にて文禄検地をおこなった結果、宗茂と家臣の主従関係にも石高制が導入されることになった。宗茂は文禄五年(一五九六)四月二八日付で、家臣へ一斉に知行宛行状を与えている。本状により、立花(米多比)鎮久には計三五〇〇石の知行が与えられた。知行地は鎮久が城番を務める鷹尾城周辺を重点的に与えられている。
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