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「笠間焼」「笠間陶器」という呼称が世に知られるようになったのは、明治に入ってのことです。美濃(岐阜県)の陶器商・田中友三郎(たなかともさぶろう)(1829-1913)が笠間に移り住み、明治2年に仕法窯の一つ関根源蔵窯を譲り受け、「笠間焼」と名づけて茶壺や摺鉢を生産、販売しました。田中は積極的に販路を広げ、笠間焼は関東を中心に、広くその存在を知られることとなりました。田中友三郎は明治時代の有名製陶家とともに窯業紙『陶器商報』の「大日本陶業百傑人名」にも挙げられています。
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