素材は広幅織の日本製絹揚柳。典型的な日本の文様と軽やかな素材が当時流行のドレスに仕立てられている。パリの高級衣装店ドゥーセの当時流行していた“日本”への視線を示す極めて興味深い作品。 当時のジャポニスムを背景に、日本の着物、あるいは着物地が転用されたドレスやコートが、1867年のパリ万博を経た1880年代によく見られるようになった。日本製絹織物の輸出は1887(明治20)年頃から急増し、広幅織の絹布が輸出された。本品の楊柳は輸出用に製作されたものと考えられる。竹が「刷り友禅」(プリント)、雀は「豆描友禅」と呼ばれる豆汁(ごじる)入りの染料を使用した手描きで表現されている。竹と雀の組み合わせは、日本の美術工芸品にしばしば登場する文様の一つである。
1875年パリに開店したメゾン・ドゥーセは、ウォルト、パンガらとともにパリ19世紀後半のパリを代表するメゾンで、ウォルトがフランス国外で高い人気を得たのに対し、ドゥーセはパリの女性から高い支持を得た。デザイナーのジャック・ドゥーセ(1853-1929)は美術に対する造詣が深く、当時流行のジャポニスムにも敏感だった。彼はクチュリエとしてだけでなく、まだ評価が定まっていなかったピカソの「アヴィニヨンの娘たち」などの新しい絵画、日本の陶器及び漆工芸品などのコレクターとしても知られる。
ドゥーセは他にもジャポニスムの影響を受けた作品を作っており、KCIはその例を収蔵している。