第二次大戦後、シャネルの復帰間もない頃の作品。ブレード飾りは、シャネルのロゴやライオンのモチーフの金ボタンなどと共に、戦後のいわゆる「シャネル・スーツ」の重要なディテールの一つとなった。
第二次大戦でメゾンを閉鎖したシャネルは、1954春夏コレクション、71歳でオートクチュールに復帰した。パリでは戦前と変わらぬ彼女のスタイルは、「古臭い」として必ずしも評価されなかった。しかし戦後、世界の経済、文化面をも牽引するようになったアメリカの女性たちは、ビジネスにもフォーマルな場面にも対応する合理的でシックな、いわゆる「シャネル・スーツ」を歓迎したのである。また、アメリカの既成服会社にパターンを販売し、シャネル風のスーツはアメリカから世界へとひろがっていった。