弥生時代中期に製作された銅鐸。京都府北部、与謝野町明石(あけし)にある須代神社境内の大石の下から明治時代に偶然発見されたものである。銅鐸はもともと音を鳴らす鐘であったものが大型化して祭祀の道具としての性格を強めていったとされている。西日本の弥生時代を代表する青銅器である。この銅鐸は銅鐸変遷の中間頃の型式に位置づけられるもの。身の表面には複数の条線を水平に描き、端部では反転を繰り返す「流水文」と呼ばれる文様が施されている。弥生時代の近畿地方にはこのような流水文を施した壺形土器も多い。つり手の部分には連続する渦巻文様の間に魚の文様もみえる。生き物を具体的に表現とした絵画として古いもののひとつ。この銅鐸にみえる流水文や魚の絵は弥生時代人たちの美意識がのちの日本的な美意識とあまり変わらないという事実を示して興味深い。