不同舎に学んだ後、東京美術学校卒業。石井柏亭らと雑誌『方寸』を創刊。1914年渡欧、セザンヌの作風に共感する。翌年帰国。22年〈春陽会〉の創立に参加。洋画家として出発するが、帰国後は水墨淡彩により、武蔵野や水郷の自然を詩趣あふれる筆致で描いて「平野の詩人」と称された。
恒友が描く水墨画は、いつも武蔵野や水郷のなんの変哲もない風景ですが、そこには爽やかな風がそよぎ、草の匂いに満ちています。特に、点景に人物が描かれると人々の楽しげな会話が聞こえ始め、単調な風景ががぜん、生き生きと躍動し始めます。この作品には人は描かれていませんが、蝶を追って元気に跳ね回る犬がその役割を果たしています。下から上へと積み上げていく日本画伝統の画面構成で、関東平野の水田の広がりが巧みに描かれています。「草の青さと水の明るさと、夏の平野は水のあるところが嬉しい」と、初夏の野を好んで取材した恒友の作品には、この作品のように水のある風景が多いのです。