四代目の舩木道忠は1900年生まれです。若い頃は西洋画を志し、東京の美術学校に通いましたが、輸出陶器が斜陽となり家業を継ぐことになりました。その時期に大原美術館の大原孫三郎と出会い、道忠は個人作家への道を選ぶことになります。一方でその縁は濱田庄司やバーナード・リーチ、柳宗悦たちとの出会いに繋がってゆきました。五代・研兒の頃は民藝運動が盛んだった時代なので、民藝の人たちが出西窯などに指導的な立場で入る時には、舩木窯は必ず立ち寄る場所でした。ただ民藝の人たちとは個人的な深いつきあいがあり、影響を受けながらも、舩木窯は民藝運動を推進する窯ではありませんでした。今でもその縁の品が舩木家にはたくさんあり、往時の面影を色濃く遺しています。