身頃には青色のシルクベルベット、パンツには鋲を打ち込んだシルクネットを使ったコンビネゾン。ネットのオーバースカートの裾にフープ入り。1909年、ディアギレフ率いるロシアバレエ団(バレエリュス)の公演がパリに衝撃を与えると、ポワレはいち早くそれをデザインに取り入れ自身のコレクションにオリエンタリスムの花を咲かせた。本作品は1911年にポワレ主催の仮装パーティー「千二夜」で発表されたドレスと同型で、1935年最後のコレクションで発表されたものと考えられる。19世紀半ばよりクリノリン・スタイル、バッスル・スタイルを通して、女性が使用するコルセットは、産業技術の向上に伴いより細く、より強固になっていった。そして19世紀末に誕生したS字シルエットのコルセットに至っては、姿勢さえも著しく前屈する窮屈なものになっていったのである。1906年若干26歳のポール・ポワレは、このタイプのコルセットを使わない直線的なハイウエストのドレスを発表し、一躍時代の寵児となった。数百年続いた西洋の女性服飾からついにコルセットが姿を消した歴史的な瞬間であった。実際の目的は、愛妻家である彼が、妊娠した彼の妻(ドゥニーズ)の為に負担の少ないドレスをデザインしたとも言われている。