古老によると、正月2日の船の乗(の)り初(はじ)めは正装で催すべき儀式であったが、紋付きを持たない者はドンザを着用していたという。博多湾口唐泊(からどまり)の漁民にとって、ドンザは晴れ着にも比されるものだった。
本来、船上での防寒・防水を目的とした仕事着であるドンザは、合羽(かっぱ)の登場まで漁師の必需品だった。この木綿の着物や古い布に刺し子を施した分厚く丈夫な着物は、長らく海の男たちを守ってきた。そして美しく刺されたドンザは彼らの自慢であり、あこがれだった。
福岡の伝説に、姪浜興徳寺(めいのはまこうとくじ)の開山、大応国師(だいおうこくし)が大陸からの帰路玄界灘(げんかいなだ)で嵐に遭遇したとき、宋で助けた兎(うさぎ)が波間を走り八大竜王(はちだいりゅうおう)となって船を救った、という話がある。波に兎の意匠は、夫の無事を祈る妻の気持ち
を反映したものかと思われるが、その華やかな図柄が周囲の目を集めたことは想像に難くない。格好良さこそは、漁師にとって一つの目標だった。
【ID Number1997P02382】参考文献:『福岡市博物館名品図録』