安井曾太郎は京都出身。1903年京都市立商業学校を中退。翌年浅井忠主宰の聖護院洋画研究所に入る。1907年に渡仏し、アカデミー・ジュリアンに入学してデッサン力を磨くかたわら、ミレー、ピサロ、セザンヌらの画法を研究する。帰国した翌年の1915年、二科展に滞欧作44点を特別陳列し話題を呼んだ。その後、日本の風土に合った油絵を求め続け、やがて大胆な構図、伸びやかな筆致、鮮やかな色彩のコントラスト、簡素で落ち着いた独自の画風を開拓した。また、実物に勝る芸術を生み出すためには、感動によってデフォルメされた形態や、強調された色彩や明暗が必要なことも示した。1935年帝国美術院会員となり、二科会会員を辞し、翌年一水会の創立に参加。1944年に帝室技芸員となり、東京美術学校教授に就任。1949年に日本美術家連盟初代会長に就任し、1952年に文化勲章を受賞。