四都図は、むかって左からリスボン、セビーリア、ローマ、コンスタンティノープル(イスタンブール)の4都市、上部に高貴な階層の男女ならびに王侯騎馬図を配する8曲の屏風。片隻は、高い装飾性を示す世界地図の8曲屏風である。両図は、来日した西洋人の指導のもと、キリスト教の布教活動に必要な聖画を制作したイエズス会の工房か、その画系を引く絵師によって描かれたと想定される。この種の初期洋風画屏風は徳川家や有力譜代大名の家に伝来する場合が多いが、本作品については日本での伝歴が明らかではない。1931年のスペイン革命時に海外市場に出、日本へ里帰りしたと伝えられ、これを昭和7年に池長孟が入手した。
都市図、世界図の原図は「泰西王侯騎馬図」の場合と同じく、1609年版カエリウス改訂の大型壁掛け世界地図にもとづくと考えられるが、同じ地図を参照して作られたと考えられる「万国絵図屏風」(宮内庁三の丸尚蔵館)および「レパント戦闘図・世界図屏風」(香雪美術館)に比べると、地図の表現の改変が進んでいる。また、ローマは、『福音イグナティウス・ロヨラ伝』(1610年)所収の都市図に拠っているという指摘がある。世界図は、金泥による諸都市の表現のうちローマがひときわ大きい点、浅瀬など航海上必要な情報を盛り込んでいる点、和船や日本図を強調している点など注目すべき描写が多い。都市図、世界図ともに前景に褐色、中景に緑、遠景に青というヨーロッパ起源の図式的な色彩遠近法が採用され、彩色にもヨーロッパ人の指導があったことがわかる。