気泡を多くもち、淡い緑色をおびた半透明のガラスの破片2片は、復元すると、上段に9個、下段に7個の浮出の円文をめぐらしたカットグラス碗となる。イラン北部、ギーラーン地方を中心に同巧品が出土しており、ササン朝ペルシアから伝来したササン・グラスとみられている。同じ由来をもつ正倉院御物や伝安閑天皇陵出土の瑠璃碗は表面に凹みの円文を施すタイプで技法が異なる。年代のわかる類例に中国寧夏回族自治区固原県李賢墓(北周・天和4年(569)没、翌年埋葬)出土碗があり、本品がペルシアからユーラシア大陸北方のステップ地帯を通るルートを経て中国に入り、日本にもたらされたことを明らかにした。