クラクフの美術学校で学び、1910年からパリに住む。24年フランスに帰化。ユダヤ系のため第二次世界大戦中はアメリカに亡命し、46年帰国。エコール・ド・パリを代表する画家の一人で、肖像画や静物画を得意とした。
キスリングはパリでモンパルナスの画家達の中心的存在でしたが、ユダヤ系のため第二次世界大戦の戦禍を避け1941年アメリカに渡ります。この作品はアメリカで描かれたものと思われます。洋梨、りんご、ぶどうなどの果物が赤いテーブルの上にひしめくように並んでいます。左側から当てられた強い光は果物の華やかな色彩を際だたせ、影の部分との強烈なコントラストを示しています。それが画面の重心をやや偏らせた構成と重なり、不安定な印象を増幅させています。そこには戦争に対する不安感が投影されているようにも思われます。果実を陶器のようにつややかに描く方法、ピカソやドラン、モディリアーニらと交流しながら得た形を簡潔に構成する方法、そして原色を使い一見華やかに見えながら憂愁を感じさせる画風など、キスリングの特徴がよく表れています。