豊臣秀吉は関白就任後の天正16年(1588)、後陽成天皇を自らの城である聚楽第に迎えた。本作はその行幸の様子を描く。左右隻で図様がつながらないが、2018年度に解体修理を行ったところ本紙裏に漢数字の墨書が見つかり、もとは6曲1双であったが左隻のみが残り、さらにそのうち第2・3・5・6扇が現在の2曲1双に改装されたことが分かった。
沿道を賑わす見物の人々の小袖意匠や結髪は、天正年間ではなく慶長(1596~1615)末から元和年間(1615~24)頃の流行を捉えており、狩野内膳筆「豊国祭礼図屏風」(豊国神社蔵 重要文化財)との類似点の多いことが指摘されている。画風はさらにやや後の制作であることを示唆しており、秀吉の大イベントを回顧的に描いたものと考えられる。